恋愛成就から虫除けまで、現実を自在に操る力を秘めた和歌

古くから詠み親しまれてきた『和歌』。当時の貴族の間では、競いあう試合まであったそうです。江戸時代になるとある一人の漁師により多種多様な願いを叶える和歌が誕生しました。

【31文字に秘められた和歌の力】

お正月のおみくじや、百人一首などで「和歌」に触れたという方も多いかも知れません。
和歌とは、文字通り「大和言葉」、すなわち日本語によって作られた歌を示します。
歌といっても歌謡曲ではなく、「短文で構成された詩」のようなものです。現在では「5・7・5・7・7」という31文字で構成されたものが、和歌とされていますが、「5」と「7」という文字数をベースにしたもっと文字数の多い「長歌」や「旋頭歌」というものもあり、現在のいわゆる和歌は「短歌」に分類されるものです。

なぜ、短歌が一般的な和歌とされ、最も好まれているのかというと、そもそもの「和歌の始まりが短歌形式」だったのではないかとう説があります。
そして、その和歌を最初に詠んだのは、『古事記』や『日本書紀』に登場し、多くの神社に祀られている超有名な神様である「素戔嗚尊」だとされています。
荒ぶる神様のイメージが強い、素戔嗚尊ですが、出雲では単なる荒くれ者ではなく、八岐大蛇を倒した英雄としての側面をもっています。
日本最初の和歌も、そんな八岐大蛇を倒した後に詠んだものだといわれています。
その歌は次のようなものです。

八雲立つ 出雲八重垣(いずみやへがき) 妻籠(つまご)みに 八重垣作る その八重垣を

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【結界を創り出す和歌】

八岐大蛇を倒した後で、八という文字が多発する歌を詠んでいることから、様々な解釈がなされていますが、最も一般的なものとしては、この歌を詠んだ時に、素戔嗚尊は新居を建てたところだったので、その家の垣根と、空に多く立ち上る雲をかけたのではないかといわれています。
スピリチュアルな解釈としては、八雲とは、「瑞兆」すなわち良い兆しをもたらしてくれるものであるので、その力をもって、自分の家の垣根を強化する。
つまりは、「結界を創るための歌」だという説も存在しています。

このように、そもそも和歌とは神聖であり、なおかつスピリチュアルなものだったわけですが、平安時代には「コミュニケーションツール」として使われるようになりました。
和歌のうまさによって、出世をしたり美しい伴侶を得られるということもあり、和歌を競い合う試合まで存在していました。
この試合で負けた時に、あまりの悔しさに死んでしまった人がいるというほどですので、当時の貴族がどれぐらい和歌を重要視していたかがわかると思います。

 

【和歌のスピリチュアルな力を蘇らせた男】

時代が立つにつれて、貴族の権勢が衰え、それと共に和歌は芸術的な分野として存続していましたが、「江戸時代末期」に、和歌が持つ本来のスピリチュアルな力を呼び覚ました「糟谷磯丸(かすやいそまる)」という人物がいます。

「漁夫歌人」とも呼ばれる磯丸は、そもそも貧しい村で育った漁師でした。
文字を書けなかった彼が、和歌を詠むようになったのは、なんと30歳を過ぎてからのこと。
病気の母親の回復を祈願するために通っていた神社で、人々が奉納額に書かれた和歌を口ずさむのを聞いたことがきっかけでした。
文字が書けないにもかかわらず歌を詠んだことから「無筆の歌詠み」とも呼ばれましたが、彼の歌は素朴で飾り気がなく、多くの人に受け入れられたのです。それだけでなく、その歌には「不思議な力も宿って」いました。