東洋と日本の愚者のイメージ
東洋や日本でも、愚者は多くの場面で語られます。
「寒山・拾得(かんざん・じっとく)」
唐代に中国に実在した2人の道人(僧侶ではないが寺に属する人)で、馬鹿のようであったが、自在に暮らし、その暮らしぶりが聖なるものだとされ、絵画の主題となりました。
「布袋(ほてい)」
皆さまご存知だと思います。唐代の禅僧で、白痴(はくち・バカ)だったといわれていますが、自由闊達に生き、袋に入れた菓子を子供に配って歩きました。
禅宗では、「愚のごとく魯のごとく座る(バカのようにアホのように座禅する)」という言葉があり、徹底して修行することが重んじられました。
さて、違いに気づかれましたか。
文化的に見ると、西洋における「愚か者」が、社会変革や破壊のイメージを孕んでいるのに対し、東洋ではそういったイメージは希薄なのです。
東洋では、明らかに、愚者であるということの意味合いは、知恵や道徳など、内面に向かいます。
あるいは、愚者だからこそ、一つのことに集中して取り組む、などという意味合いが強くなり、日本において、それは「道」の文化となりました。
剣道や茶道など、「愚か者のように徹底してその道に集中して極め、凄まじい感性や技能を身につけ、人でありながら人でなく、神のような技芸を身に着ける」という、芸道の文化に繋がりました。
つまり、西洋における「愚者」的なものは、日本では「極める」「道」に繋がる感性であるということです。
道は開かれている
そして、占いというのも明らかにひとつの道なのです。
上の図像は、神々の森神社カフェで発行している「神々の心のタロット」の「愚者」にあたる、「神を求む」で、道が描かれています。
こうした道を進み、日本の精神性を感じながら、感性を極めていくことは誰にでもできます。
神々の心のタロットとともに深めることで、心の本質や未来が、ありありと見えてくることと思います。
それは、どこまでも深められる道なのです。
補足:「占い」は、現代では忘れられつつある「日本の精神的な道」の中心である
という主題は、後日「魔術師」のカードで扱います。
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日本的な意味合いをしっかりと感じていくことで、タロットの世界は「吉・凶」などといった意味を遥かに超えて、信じられないほど豊かな世界が広がるものだと思います。
この記事の発信元の「占いカフェ 神々の森神社カフェ」では、神々の心のタロットの講座を開催しています。
占いは、自分自身の心や未来をつかむことができ、文化的な背景までを理解し、さらに仕事として展開もできるような素晴らしい技能です。
より多くの方に、この豊かな世界を感じ、人生と人間性の豊かさを広げて頂ければと思います。
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