chocoさん

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縁を切りたい

DATA 1973年10月16日00時00分生まれ 出生:沖縄県 女性

結婚と同時に同居して、まもなく10年が経ちます。
姑と縁を切りたいです。
他人に戻りたい・・・。

いろいろありすぎて何から話せばよいのかわからず混乱しています。
ただ、とても変に感じることがあります・・・それは

何の因果があって縁を切ることができないのか?
ということが不思議でなりません。

別居の話も離婚の話も一向に進まないのです。

どうかよろしくおねがいいたします。
納得のいく理由をおしえてください。

投稿者

chocoさん、こんにちは。スピリチュアルスクール ワンネスインスティテュート代表のREMI(叶礼美)と申します。カウンセラー・セラピストとして、これまでに国内外の数多くのクライアント様よりご相談を伺ってまいりました。

まずは投稿を拝見しながら見えてくるビジョンについて、お話しさせてください。

一人の年配の大柄の女性が、やせた小柄の一人娘を厳しくしかりとばし、支配しています。横暴な母は、自分の中の矛盾した考えに支配されていました。一人になることへの恐れ、娘を失うことへの恐れ。心の底では娘をよりどころとしていること。自身が痛みに支配されているが、それについて何も知らない娘に、嫉妬さえ感じてしまうこと。

しかしある日、転機が訪れました。母が別の土地へと転地することになったのです。母の、娘への執着は、途端に消滅してしまいました。というのも、ほかの人々と住むことになり、一人になることへの恐れが払拭されたからです。

娘は、母の支配から突然解放されて、自由になりました。毎日は平和になり、世界は色彩と光を取り戻したかのように感じられました。突然の変化に戸惑いながらも、振り返ってみると、母が残したもののなかで、よいところと、よくないところが見えてきました。

よいところは、段取りする力を身に付けられたこと。強さや忍耐力も身につきました。よくなかったところは、人の自由意思を尊重しなかったこと、大事にしなかったことです。娘は改めて思いました。「私が家庭を持つときには、家族に同じ思いを決してさせないようにしよう。私は、人を尊重できる大人でありたい。」「でも、なぜ母はあのように振る舞ったのだろう・・・?」

私たちは、幾多もの転生で、立場や役割や状況やアプローチを変えながら、人間であるということを様々な角度から学び、成長し続けます。人間関係についても、体験からしか学べないこと、体得できないことがあります。子供のほうが魂としてより大人、親のほうが魂としてより子供、という関係性も、双方の霊的な成長を促すためによく選ばれます。また、転生の中で学びきれなかったテーマは、次回以降の転生に持ち越されます。

今生のchocoさんにお話を戻させてくださいね。傷を抱えていたり、成長しきれていない親や大人が、支配しやすい子供にひどい扱いをしたり、嫉妬さえすることがあります。されてきて辛かったことを、自分の子供にし続けてしまう親もいます。不幸に囚われていると、他者が自分よりも幸福であるかのように見えてしまい、勝手な恨みを募らせたり、やっかんだりすることもあります。

先に描写したエピソードの最後に注目をしてみてください。「でも、なぜ母はあのように振る舞ったのだろうか・・・?」いろいろあった後で、簡単なことではありませんが「人の不可解な振る舞いを、理解すること」も今生のchocoさんの課題の一つなのではないかと思います。そうであるならば、まさに今生の課題を学ぼうとされているchocoさんに、二つの具体的な提案をさせてください。

一つめ・・・お姑さんにもよい面があるとしたら、どのような面であるかについて、思いを巡らせてみること
二つめ・・・「にも関わらず、あんなふうにしか振る舞えない」不自由な人生について、少し客観的な理解を試みること

具体的にどうやって?と思われるかもしれません。私でしたら、お姑さんにどんな人生を送られてきたか、どんな子供時代を送られてきたか、どんな気持ちで成長されていらしたのかを、尋ねてみます(純粋に知りたいという気持ちと態度で尋ねます)。

そうすると「何がお姑さんをそのような人物にしてきたのか」「どうしてそのように振る舞わざるを得なかったのか」について、少なくとも「だからか・・・」と納得できる答えが浮かび上がってくることと思います。

そうしてChocoさんがお姑さんの人生と振る舞いが「なぜそうであったのか」を理解しようとしていく過程でChocoさんにとっては「なぜなのか」納得が得られていき、お姑さんにとってはChocoさんからの「関心と理解とを得られて」いき、お姑さんの嫉妬とも嫌がらせともやっかみともつかない態度も、少しずつ和らいでいくように感じられます。

人は、学ぶべきを学び、理解すべきを理解し、互いに学びの鏡となる役割を終えたとき、自然と次の段階へと進んでいくものです。「別居の話も離婚の話も一向に進まない」状況が教えてくれているのは、今はその「学ぶべきを学び、理解すべきを理解する」ことが課題であり、因果であり、ご縁であり、理由である、ということなのではないかと私には思われるのでした。

より詳しいリーディングやカウンセリングをお受けになるのも、よいアイデアかもしれませんね。

以上となりますが、chocoさんの理解のために多少でもお役にたてたなら、幸いです。

chocoさんのご多幸をお祈りしております。

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