イタリア人はなぜ、恋愛を楽しめるのか?〜Udaraのイタリアンスピリチャアルライフ vol.26

日本でのイタリア人男性のステレオタイプは、「いつも女性を口説いているチョイ悪男」というイメージがあるかもしれません。 その関係性は、平等に扱われている成熟した男女の関係の中だからこそ成立し、その主導権は女性の方にあることがほとんどです。

イタリア人と日本人が恋愛する際の「関わり合い」の大きな違いは、その質にあります。

なぜ、あんなにも彼らが関係性における面倒臭さを超えて、恋愛を謳歌しているのかの鍵になっていることを実感します。

日本では、恋愛においてモノローグ的なコミュニケーションが中心である一方でイタリア人は、総じてダイアローグを楽しんでいる傾向にあるようです。

モノローグは舞台などで相手なしに言う台詞。独白。
ダイアローグは相手と交わす相手と交わす問答。対話。会話を指します。

恋は片思いなどのモノローグから始まり、それが成熟してくると恋愛へと変化し、その時点で相手とのダイアローグが始まります。
恋愛は、モノローグではなくダイアローグなのです。

相手と交わす、つまり人と人の間に言葉も含めたエネルギーの交換がある時、そこに何らかの化学反応のような現象が起こり、一人では作り出せない新しいエネルギーが生まれ、それまで味わったことのない、新しい感覚を感じることができます。

そのダイアローグが成立するための大前提は、対話し合うそれそれが「個」として平等であることです。
ところが日本は、先進国の中でも男女平等への意識が非常に低く、制度の見直しも含めかなり遅れをとっていると言われています。

 

例えば、日本では未だに存在する女子アナのような概念は、イタリアには存在していません。

彼女たちには、才女ではあるものの、静かに微笑んで控えめであることが美徳として求められます。
そのような質的な男女の差異だけに止まらず、男女の平等さを測る基準となりうる男女の賃金差、また社会で活躍するリーダである女性の数において、日本とイタリアでは歴然とした違いがあります。

日本でのイタリア人男性のステレオタイプは、「いつも女性を口説いているチョイ悪男」というイメージがあるかもしれません。
その関係性は、平等に扱われている成熟した男女の関係の中だからこそ成立し、その主導権は女性の方にあることがほとんどです。

セックスにおいても、日本ではモノローグ的な質のものが目につきます。
相手と交わさないままマインドの中で発達したセックスへの幻想は、身体のそれをまったく無視した形で過激な興奮を必要とし、その幻想は暴力を伴うものも少なくありません。

セックスでダイアローグが起きると抑圧している感情が増幅されるような状態になります。
喜びが大きくなることはもちろん、怒りや悲しみなどのネガティブな感情も感じやすくなります。
感情表現に対する違いも恋愛をつまらないものにしている要因かもしれません。

イタリアでは感情表現はそれほど、ネガティブなものと捉えられておらず、男性でも抵抗なく涙を流したり、女性でも怒りを表現する場面に遭遇します。
自分自身を知り、感情を解放することが鍵になります。

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