世界中どこにいても忙しい時間から解放されるためには? 〜UDARAのイタリアンスピリチュアルライフVOL.11〜

ここ数年のプロセスの中で、人が時間を厳守しようとすることが何をつくりだしているかということに真に目覚めなけらばならない時がやってきているのではないかと感じています。
世界中どこにいても忙しい時間から解放されるためには? 〜UDARAのイタリアンスピリチュアルライフVOL.11〜

忙しい時間から解放されたい、自由な時間を持ちたい人のために、イタリアでの時間への探求を通して、発見した新しい時間軸とは?

「精巧な」時を刻む東京に住んでいた私にとって、北イタリアの小さな田舎街での暮らしは、時間への概念をじっくりと崩壊させられる貴重な機会になりました。

仕事柄、多忙な経営者や時間が足りないと感じる方々を対照にタイムマネジメントや自由に時間を創造するという目的でコーチを行うことがあります。

実態を捉えづらい時間という概念から自由になっていくためには、時間に対する古い固定概念を観察し、崩壊させ、新しく創り直すというプロセスを踏んでいきます。

ここ数年のプロセスの中で、人が時間を厳守しようとすることが何をつくりだしているかということに真に目覚めなけらばならない時がやってきているのではないかと感じています。

イタリアの時間への概念は日本のそれとは異なります。

24時間営業のコンビニはなく、駅構内や街の中心の広場などで使われている公共の時計が止まっていたり、書類の遅延はざらです。

一度、同じ街に住むアメリカ人の友人が世界中の使用済切手をコレクションしているというので、日本に帰国した機会を利用して絵葉書を送りました。
1週間後には着くはずのそのハガキが彼の手元に届いたのは2ヶ月後だったそうで長年、イタリアに住む彼は「NO PROBEM. THIS IS ITALIA」と笑っていました。

無駄に時間を奪われたように感じ苛立つこともありました。その感情のスイッチを押すのは、決めた時間は守られるべきだ、それが当然だという概念でした。
頑なだった価値観が崩壊しはじめたと同じ頃に、そこで出会ったある童話作家の深い洞察。

「早く歩きすぎた」とインディオは話した。

「だから、われわれの魂が追いつくまで待たなければならない」
外なる社会の日程表は守るが、内なる時間に対する繊細な感覚を、わたしたちはとうの昔に抹殺してしまった、-中略-容赦ない競争と殺人的な成績一辺倒の経済制度である。-中略-ひとりが賭ける速度を高めると、みんな速く走らなければならない。それを進歩と呼んでいる。
そんなに急いでわたしたちはどこから去ろうとしているのか?ミハエル・エンデ エンデ メモ箱 考えさせられる答えより)

私は、それ以来、自分という自然と語らいながら、時には止まり、歩き、走ることを選択しました。「魂」に軸を合わせていくうちに失われたと感じていた自由な時間が戻ってきたのです。

ここで社会制度の是非を問うつもりはないし、時間の概念をどんな風に新しく創り直すかは人それぞれの自由な選択です。ただ、苛立ちのスイッチを押されないことは、何とも心地よいのです。
たくさんの人々に自由な時間が訪れますように。

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