鶴見明世のタロットやろっと♪ Part.4〜デッキによるリーディングの差〜

カードは暗記で読むのではない、理解力で読むものなのだ……使えば使うほど、このカードはどんな状況でも「安定して」いると理解しました。

こんにちは、鶴見明世です。

いつもありがとうございます。
今はタロットリーディングを生業としている私ですが、当然ながら、
私も最初からすらすらとカードが読めたわけではないんですよ。

あ、意外と思われるかもしれませんが、
今でもすらすらと読めない場合も、一日に最低一回はありますね。

将棋の長考ほどではないですが、じっと動かなくなって熟考に入る場合は決して少なくは無いです。
ただ、それはカードの意味がわからなくなっているからではなくて、カードから得る情報をどう構築していくか、展開性をどうするか、時間軸を何処に設定するか、などを一瞬のうちに組み換えて考えているから、なのですね。

以前ここで、
「カードから得る情報をどう構築していくか」と書きました。

はい、カードを読むという事は、カードから情報を得る事なんです。
情報を得る為には、基本的にカード一枚一枚に設定されている意味を記憶していかないと無理なんですね。

その「カードに設定されている基本的な意味」がインプットされていて初めて、汎用性が生じてくるわけなので……

 

さて、時間を
「私がタロットカードを手に入れた中学一年生の時代」
に戻してみましょう。

私は勉強をする振りをして机の前にいそいそと座り、大アルカナカードを一枚一枚出しながら、付属の教本を読みつつ、意味を覚えていく事を開始しました。

カードを食い入るように見る。
見て、カードに描かれている全ての情報を頭の中に叩き込む。
絵柄の隅々まで、描かれている全てを覚え込んでいく。
そして、教本を見ながら、ぶつぶつと口に出しながら意味を覚えていく。

中学一年生、ローティーン時代の脳は柔軟で、記憶力もかなり高いはず……
しかし! そこで私は最初の壁に思いっきりぶち当たるのです。

「ち、ちっとも意味が覚えられない……」

その時は理解したつもりでも、暫くするとどうも忘れてしまうようで、しかも忘れる速度が速い気がする。
毎日、少しずつ覚えているつもりなのに、少し忘れると直ぐに不安になって、なんだか時間の堂々巡りをしているように思える……

それでも、当時の私は! JJ Swiss版のカードに取り組み続けたのです。

そして、大根役者がセリフを棒読みにするような、そんな感じでカードを覚え、解釈したと思っていました。
その状態でスプレッドをして、読めないとは思えなかった、そう、読めていると思っていたからです。

 

それから一年後に、私は新しいカードを手に入れました。

ライダーウエイト版。

最初にタロットカードを買ったデパートの玩具売り場に新たにディスプレイされていた、黄色を主体としたその明るい色調は私の気持ちを揺さぶりました。

なんとなく、印象がJJ版より強い気がする。
でも、もう既に1デッキ、持っているのにもうひとつなんて、贅沢じゃないか。
それでもどうしても気になり、お年玉で購入したところ、デッキを開いてびっくり!

「ウエイト版のほうがイラスト調で粗削りの絵柄だけれど、含まれている意味が深い」

そう、感じたのです。

絵を見ているだけでイマジネーションが湧いてくる。
絵柄のあちこちが気になる、印象的に思える。

何より、小アルカナの全てが絵柄化されていて、とても解釈がしやすいのには驚愕でした。

JJ版は緻密な銅版画で美しい重厚な絵柄ながら、小アルカナはトランプのように数字札でしかなかったからです。
数字札から得られるイマジネーションはやはり少なく、英単語丸暗記のように、JJ版では丸暗記するしかなかったのです。

カードの絵柄が違うだけで、こんなにも得る印象が違うのか。
イマジネーションの湧き出す量がここまで違うのか。
つなげていくイメージがここまで広くなるのか。

その違いは、リーディングの正確さに直結していく事を直ぐに私は理解するようになりました。

カードは暗記で読むのではない、理解力で読むものなのだ。

それから私は、基本的な勉強はウエイト版を使うようになりました。
使えば使うほど、このカードはどんな状況でも「安定して」いると理解しました。

私が今、タロットスクールで教えていく際にウエイト版で行っているのは、そうした理由があるからなのです。

タロットカードは本当に沢山の種類がありますが、私が感じた「デッキの性格」を、次回、何通りか上げてみたいと思います。

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