鶴見明世のタロットやろっと♪ Part.3 〜独学から得たタロットカードの性質〜

どんな人に対しても、どんな状況に於いても、その公平性において何らかの基点が無いと、本来は占術は出来ないのではないか。その公平性とは、偶然性を活用する事により設定が出来るのではないか。 その点において、タロットは私の考えにとても適合したのです。

私が何故、タロットを選んだのか……

前回幼い時から占術に興味を持ち、独学を開始していたと書きました。

そして、タロットをはじめて手にしたのは12歳、中学1年生のときです。
その間はどんな事をしていたのかと申しますと、いわゆる一般的に書籍になっているもので、自分を、そして身近な人たちを「解析」していました。

そうしているうちに、占術とは西洋占星術や四柱推命のように学問的な分野、其処から派生して独自の体系を作っていく東洋占術系の分野、チャネリングを基とする宗教的予言分野、霊的要因に基づくスピリチュアル系分野と、いろいろな手段や方法があることが漠然とわかってきました。

また、ト占のような、偶然性を利用しながら系統を作っている分野。
これにタロットは当てはまります。

実は、この偶然性を活用する占術は少ないのです。

大抵の占いは、学問的な構築をしている。だから、理屈がつく。
この年、この月、この日に生まれた人はこういう傾向を持ち、こういう人生を歩む。
長所はこうで、短所はこう。
相性が逢う人はこの年の生まれの人で、この年・月の生まれの人とは最悪。

ここで うんうんそうなんだ、となっていれば良いのですが、
まだ年端もいかないのに私は、納得が出来なかったのです。

「同じ日に産まれても王室に生まれた人と、小市民に生まれた人と、人生は同じなの??」
「この人は良い人だと思うのに、相性が最悪と出ている。それではいつか、犬猿の仲になっとしまうのかしら、それは決められたことなの??どうにも出来ないことなの??」
「せっかく今、頑張ろうと思っているのに運が悪い時期となっているので、三年間も動いてはいけないとは、どういう事なの??」

だいたいの占い、というものは古代にその基軸が出来上がり、現代に脈々とつなげられてきたもの。
でも、当時は電気も無い、車も無い、ケータイも勿論無い、という時代。
その時代と今の時代は時間の流れ方の感覚が全く違うはず、それなのに今の時間でも、例えば三年も何もしてはならないなんて、余りにもナンセンス。

という事で、私はいつも逡巡し、反発し、疑問に直面していたわけなのです。

どんな人に対しても、どんな状況に於いても、その公平性において何らかの基点が無いと、本来は占術は出来ないのではないか。
その公平性とは、偶然性を活用する事により設定が出来るのではないか。

その点において、タロットは私の考えにとても適合したのです。

固定した宗教色がなく、シンボリズムを活用するので汎用性が高い。
何より、偶然性を活用するので
「答える内容が常に画一的では無い、その人その人に対してのプレタポルテ的提供になる。」
更に、その場でカードをスプレッドして読み込んでいくので「リアルタイム度が高い」。

つまり、信憑性が生じる。

タロットカードは私が欲していた内容を全て、引き出す事が出来る。
その上、いろいろと書籍が出ているので勉強がしやすい。

当時の私はまだ、中学生であったし占い大好きな母は典型的な超教育ママであったので、受験勉強しないで他の事をしているのは許されないという過酷な環境でした。

でも、これならこっそりと自分で勉強していける。
良かった、見つけた、私の求めていた手段。

これが私の「タロットやろっと」、何故タロットなのかという理由なのです。

そして、こっそりとタロットの勉強を続けているうちに、いろいろな事に気付きだしたのです。

どんな事に??

「カードはデッキによって性格が全然違う。パターン化した解釈では読み込んでいく事は出来ない」

という事です。

次回は「デッキによるリーディングの差」についてお話していきましょう。