鶴見明世のタロットやろっと♪ Part.2 〜数ある「占い」の手段、その中からタロットを選んだ理由は??

「この子はとてもとても寿命が短いので、どうにも出来ないし占う必要もない。」幼い頃 母に連れて行かれた占い師に、幼心にくさびでも打ち込まれるような事を言われたわけです。

皆さんこんにちは。
いつもお世話になりましてありがとうございます。鶴見です。

今日は私がなぜ、タロットカードを使ってリーディングをするようになったのかについてお話したいと思います。
あ、私はあまり「占い」という言葉を使わないのです。

「フォーチュンテリング」とも余り、言わないですね。
私はタロットで読んでいくのは“フォーチュンだけではなく全ての時間設定”が出来ると思っていますので。
それで、「リーディング」と称しているわけなのです。

私がリーディングというものに興味を抱き始めたのはもう本当に幼い頃。
物心ついたかつかないか、くらいの時だったのではないかと思います。
とてもおぼろげに、幼い自分が両手の線をじーーーっとみている、という記憶があるのです。
つまり、手相を見ていたのですね。

私の母は非常に占いが好きな人で、幼い頃からよく、
「手をお出し」(ヘンゼルとグレーテルの場面ではないですが)と言われ、母がその手をガシっと掴んで、ああでもないここでもない、とコメントするのが日常茶飯事だったのです。

そして、母は私の手相を見るたびにため息をついて、長生き出来ない・あまり幸せそうではない、と言って気落ちするようになってしまったのです。

ある日、思い悩んだ末に母は私の手を引いて、手相占い師さんに連れて行ったのです。
そこで幼心にくさびでも打ち込まれるような事を言われたわけです。

「この子はとてもとても寿命が短いので、どうにも出来ないし占う必要もない。」

というような事を確かに、言われた事だけは覚えています……。
泣いている母に手を引かれて帰る道中、私はずっと考えていました。

「私だったら、そんな人が悲しむ事は言わない。もっと楽しくなる事、嬉しくなる事を沢山、探して言う。私だったら、それが出来る。」

本当に幼い時、多分4~5歳くらいの時のことであるのは確かなんです。
随分と生意気でふてぶてしい考えをしていると、今でも思います。
私はその敵に、幼い心の中に怒りと反発の青い火を燃やしながら、
「私だったらそんな占いはしない」
と、自分の道筋を決めてしまったように思います。

そして、その日から家にある占い関係の本を読み漁る事を始めました。
早い時期から、字は自然と読めていたので。
私の占い独学開始時期はなんと、幼稚園の頃からなんです。
そして、その時から今まで、占いに関する情報や学びに飽きた事が無いのです。

 

さてさて、それでどうしてタロットカードになったのか。
ですね。

残念ながら我が家には当時、タロットカードも当然無いし、手に入る情報は手相と易、西洋占星術、くらいのものであったと思います。
私の場合、最初は手相でした。
でも、どうしても細かい部分はわからない。
例えば、結婚は25歳だ、と出たら時期はわかる。

どんな人とどんな出会い方をして、どの程度付き合って、プロポーズはどちらからで、子供は産まれるかどうか、姑さんはどんな人か……
そういう突っ込んで細かい事はわからないな、それでは私の寿命が短いと言った人と変わらないな、私はそういう事まで相手に伝えられるようになりたいな。
そう考えながら、でも手段がわからず、やはりどうしたものかと考える日々。

そんな中、当時住んでいた町にデパートができ、そこの玩具売り場のショーケースに飾られているタロットカードを見つけたのです。

正に衝撃的でした。
ガラス越しにカードをずっと見つめ、見入りました。

「これは私の人生にずっと、とてもとても大切なもの。」

そう、確信したのです。
実際は、それが占いに使うものだと知らなかったのにかかわらず……

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そのカードは、1JJスイスカード、と呼ばれるカードです。

そんなものは……と、買うのに何故か難色を示した母には内緒で、私は小遣いをかき集めてそのカードを買ったのです。

それが私とタロットカードの出会いだったのです。

…続く