世界の富豪と言われる人たちのなかで、圧倒的な数を占めるユダヤの人々。なぜ、ユダヤ人にはお金持ちが多いのだろうか?
そこには、彼らが長い歴史のなかで培った成功へのノウハウがあった。
■スターバックスコーポレーション会長
ハワード・シュルツ〜Howard Schultz〜
抜群の経営センスで現代のコーヒー王に
1953年にニューヨークで生まれ、幼い頃は低所得者層の共同住宅で育った。
ゼロックスの営業マンなどを経て、1982年にスターバックスに入社したが、当時はシアトルの小規模なコーヒー豆の卸売り会社だった。
買い付けに訪れたイタリアで出会ったエスプレッソバーに発想を得て、会社にコーヒー店の展開を提案するが受入れられず、1985年に自らコーヒー店、イル・ジョルナーレを設立。
経営は好調で、その後スターバックスを買収し、世界有数のコーヒー店へと育て上げた。エスプレッソを主体としたシアトル式コーヒーと、上質なサービスの提供に加えて、従業員の働きやすさを追及する彼の経営哲学は、各界から注目を集めている。
日本では1996年に銀座1号店を皮切りに展開を進め、現在は1000店以上(2013年末時点)。
■映画監督
スティーブン・アラン・スピルバーグ
〜Steven Allan Spielberg〜
短期間でヒット作品を次々に制作
12歳で8ミリ短編映画を、さらに14歳で40分の戦争映画を撮影し、幼い頃から既に映画製作へ情熱を傾けていた。
1972年に『激突!』が評価を得て以後、現在に至るまで、映画監督として活躍を続ける。1993年にアカデミー賞監督賞ほか7部門を受賞した『シンドラーのリスト』では、ユダヤ人大量虐殺のテーマを取り上げている。
さらに1998年には『プライベート・ライアン』で2度目のアカデミー監督賞を受賞。制作過程において、撮影期間が短く、制作費が安いことが有名だ。
その上、興行的な成功も収める世界最大のヒットメーカーの一人である。
米国フォーブス誌によると、2006年の際の年収は約350億円、当時米国有名人で総合1位。
■シェル石油創業者
マーカス・サミュエル〜Marcus Samuel〜
貝殻細工の商人から石油事業へ進出
イギリスの下層階級の一家に生まれ、父親の商売を手伝っていくうちに商才を発揮。
1871年、18歳の時に日本に到着し、湘南の海岸で見つけた貝殻に目をつけたのが始まりだった。
彼はそこで拾い集めた珍しい貝殻を加工したものを、イギリスで売って利益を上げた。
さらに、横浜にサミュエル商会を設立し、陶器や絹織物などの輸出や、日本に工業製品を輸入するなどして商売の幅を広げた。
1892年には、当時、需要が上昇中だった石油に注目し、石油事業にも進出。インドネシアで掘り当てた石油を、タンカー船で国外へ移送する。
1897年には現在のシェル石油の母体となるシェル運輸交易会社を設立し、本社を横浜の元町に置いた。
「シェル」を商標としたのは、もちろん湘南で貝殻を拾い集めた日本の湘南での日々が原点にあったからだ。
政治への関与も深く、1902年にはユダヤ人として史上5人目のロンドン市長に選出された。
■ジャーナリスト
ジョーセフ・ピューリッツァー〜Joseph Pulitzer〜
不屈の精神で新聞界の常識をくつがえした
1847年ハンガリー生まれ。1864年にアメリカへ移住して南北戦争に従軍した後、ドイツ語の日刊新聞『ウェストリッヒ・ポスト紙』で新聞記者の職を得る。
既存の新聞記事とは異なり、大衆向けの即物的な文章が批判を受けるが、新聞は飛躍的に部数を伸ばした。その後、このポスト紙を買収し脅しや批判に合いながらも、大衆の声を反映させた紙面づくりを追及した。
1878年にセントルイス・ディスパッチ紙も買い、2紙を統合した『ポスト=ディスパッチ紙』の売り上げを着実に伸ばした。さらにニューヨークに進出して『ワールド』誌を買い取り、アメリカ最大の新聞に育て上げる。
1911年に永眠後、彼の遺志により優れたジャーナリストと文学者を称えるための「ピューリッツァー賞」が設立された。ジャーナリズム分野のなかでも、特に1942年に設置された写真部門は、報道写真において最も権威ある賞である。
大衆の興味を引くセンセーショナルな記事に焦点を置くことで、新聞の部数を飛躍的に伸ばした。
TRINITY21号より
写真提供:PPS通信