ともくん宮崎からの手紙―! PART.7 「日本」の名付け親、饒速日と早日の峰 —!……前編その1

もくん早日の峰からの手紙—! 天孫降臨した饒速日

みなさんこんにちわ! ともくんです。さあさあ、さっそく今回の連載でご紹介したいのがついにたどりついた饒速日命(にぎはやひのみこと)が天孫降臨した早日の峰(ハヤヒノミネ)!

実はここは前々回の章でもご紹介した高鍋町(宮崎県の中心にあるちいさな町です)の藩主らによって大切にされており、ともくんが住むこの町をはじめとする県央の信仰の中心地だったといわれていることを知ってとても驚いてしまいました。

(尾鈴神社上宮①)

 

あおい尾鈴の美しさ

高鍋藩の秋月氏は、あの有名な明言、「為せば成る、為さねばならぬ何事も」の上杉鷹山を輩出した有名な藩です。
なんか思い出すと、子供のとき小中と、ともくん学生時代に(今でも学生ぽいけど汗)

尾鈴根の~とか、青い尾鈴の美しさ~……というふうに、やたら尾鈴山(別名ハヤヒノミネ)を称えていたのを思い出したりして。
宮崎県のほぼ中央に存在するこの早日の峰(はやひのみね)こと尾鈴山。

古代天孫ニギハヤヒノミコトが天の磐船で降りてきて、そして数多くの伝説や、多くの神社や聖地が今も変わらずに残っています。
一番すごいのが、饒速日のパワーが、とてつもなく山そのものと、付近の神社に分割して残っていること。

(尾鈴山登山入口)

みんな霧島とか、ニニギノミコトとかほかの神様の聖地にいっちゃうので、高鍋藩のお殿様がこれはやばいと
「霧島参りはひかえてほしいが、大国主の都農神社や饒速日の尾鈴神社は自由に参拝していいよ」
とお触れを出したほど大切にされていたのだそうです。

前回紹介した百済皇子福智王の比木神社と、みやざき一宮である大国主の都農神社。
このふたつは高鍋の藩においてはスピリチュアルな能力者たちとも縁が深かったそうで、「尾鈴と比木と都農神社はこの地域において最も主要な聖地」として宗教政策の中心的な役割を持っていたのだとか。

(尾鈴山へ登頂①)

とすると、祭神の特徴が驚くほどつながってくる。力がもうすんごい。
大国主=饒速日(アマテル)=大年=百済の皇子福智王が様々な地で重なったり、独自に関連して信仰されていたこともにわかに見えてきて面白かったりして。

一部の派遣された研究者の方の意見では、これはすべて同一人物を表現したものであると書き残された書物や資料もあります。

 

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(トップ画像/尾鈴山へ向かう山中……数キロの道のり、入口はまだ見えない。)