ココロセラピストが語る!『ややこしくても大事なコミュニケーション』について!

人と人を繋ぐコミュニケーションは大事な心の交流です。だからこそ、相手を思い遣る気づかいが大切になるのです。

なんでもかんでも共感すればコミュニケーションは円滑になるか?

共感という言葉があります。
簡単に言うと「よりそって聞いてあげる姿勢」のことです。
現代人は共感能力がなく、自分が主体になりすぎているとか、他人に対して関心を持たなすぎるからコミュニケーションが成立しないと思っている人もいるようです。
確かにその通りです。人はコミュニケーションあってこその存在です。

共感という概念はとても素晴らしいです。
しかし、最近は共感という言葉が独り歩きし過ぎている気もします。
「共感=相手の言葉を文字通り受け止める」と勘違いしている人が増えて来ている気がするのです。もちろん、これは僕の勝手な思いなので、間違っていてくれた方が嬉しいです。

結論から言うと、すべてを文字通りに受け取るのはかなり危険です。

言葉通りに受け止めてみたらどうなるか?

「私、太ったかな?」「私、バカだから……」「私、見下されている気がする……」人は、時々このような発言をします。
ものすごく返答に困る質問です。

肯定した方が良いのかなと思って「うん。そうだね」と、うっかり答えてしまったら最後、怒られます。
嫌われます。悪くなくても悪者扱いされます。
自分でも、そう思う節があるからこそ確認のために聞いているのだろうと思ったら大間違いです。

「そうだね。アゴのたるみがちょっと目立つね……」とか「普段から本を読まないからだよ……」とか、「ノンキャリアだから仕方ないよね……」とか、具体性を含んだ回答をすると、怒られるどころか恨まれるのでくれぐれも気をつけてください。

この手の質問癖のある方は、セルフ・イメージが不安定な状態になっています。
不安定になっているから思考力も落ちていて「そんなこと無いよ」というセリフで返ってこないと余計混乱してしまい、どうして良いかわからず、怒り狂うのです。
そもそもそんな愚問をする時点で、傷つく回答が戻ってくる可能性だって高くなるのはわかっているはずなのに。
つまり、この手の質問をされたら質問者は不安定な状態なのだと思って接した方が良いです。
決して、迷惑な人という意味ではありません。
相手が不安定とわかれば、こちらも配慮しようという気になって冷静になれるかもしれません。

情けない話ですが、僕もかつてはこの手の愚問を繰り返し、たくさんの人を困らせてきました。
今思うと、顔から火が出そうです。
しかし、当時の自分を客観的に振り返ると見えてくることがあります。
自分自身を改めて見直す必要性がある時期なのです。
でも、どうして良いか自分ではいまいちわかっていない。つまり誰かに発信しているイエローシグナルなのです。

相手の望む言葉を発すればOK?

コミュニケーションのテクニックの中には「相手の望むことを言ってあげると大抵は喜ばれるよ」と言ったことを教えているものもあるようです。
しかし、これも場合によっては危険です。
確かに相手が望む言葉を発してくれれば大抵の場合は嬉しいです。

ただ状況判断を間違えると信頼関係にひびが入ってしまいます。
たとえば権威に弱い人が相手に「はい!はい!その通りですね!」と連呼していたら、周囲に『YESマン』と言われて白い目で見られてしまいます。
場合によっては優柔不断として思われてしまう事もあります。

たとえば、自分が会社員だったとします。
アフター5には大切なデートが控えています。
急いで帰ってシャワーを浴びて、着替えて、遅刻しないように早めに集合場所に行って……と、やることが山積みです。
そんなときに、上司にがニヤニヤしながら近づいてきて急に困ったような、それでいて甘えるような顔してきたらどうでしょう。
おそらく(サービス)残業のお願いです。
相手の望みを察して「(無償で)残業しましょうか?」と、笑顔で言えますか。
人命がかかっているとか、危機的状況ならば仕方ありません。
しかし、本当に緊急事態であれば、上司も婉曲表現せずに権力を駆使してズバッと命令して来るはずです。
それにその手の人は、何度も同じような厄介事を度々持ち込んでくるパターンが殆どです。
本当に迷惑なら、察して事前に対策を練る方が大事です。
根本的な問題から目をそむけている限り、相手が喜ぶ言葉を言おうが、本当の意味では幸せには向かえないのです。

「私、太ったかな?」「私、バカだから……」「私、見下されている気がする……」のパターンも同様です。
「そんなことないよ」と言って欲しいのかと察して言ってみると、「嘘つかないで!」と逆ギレされる可能性も高いです。
もしくは「その根拠は何?」とさらに無茶苦茶な質問が飛んでくることもあります。
自分が「そんなことないと言え!」と見えない圧力をかけて来たにも関わらず。

ここまで来てまだ相手の望むことを考えて「えっと、君が仮に太っているとしたら色彩効果の影響かもしれないね。バカって誰かに言われたの?バカって言う方がバカなんだよ。そもそも人を見下す人ってロクな人いないよね。君の価値を理解できないなんて、それこそ愚かだよね。君は、いつだって素敵だし輝いているし……」と、フォローや美辞麗句を並べていたら、こっちが参ってしまいます。
瞬時にそれほど自在に言葉が操れるなら、その人のフォローなどしないで詩人か小説家にでもなった方が良いです。

確かに、お世辞でも何でも良いから褒めて欲しい時もあるかもしれません。
僕も、ダメ出しより褒められる方が大好きです。裏が無ければ。
ただ、大事なのはそういう事ではありません。
その質問の裏に隠された話の本質を見抜いて、そっちに対してコメントする方が何百倍も大切なのです。
そもそも、心身が元気なら、そのような愚問はしません。
何らかのネガティヴな要因があるからこそ、愚問となって現れているのです。

テクニックではなく本質を見極めて!

コミュニケーションは意味があります。だからこそ大事なのです。
単なる言葉のキャッチボールではないのです。
単純作業でも何でもなく、心と心の交流なのです。
時には言葉にならないことを伝えたいときだってあるのです。
だから上手に伝わらないことだってあるのです。
話をしてスッキリするどころか話しながら混乱してしまうときだってあるのです。
だからこそ、僕たちは相手の本質を見抜かなければならないのです。
相手の本質を見抜いてテクニックを駆使して相手を誘導するとか、マニュアル対応するとか、そういう低次元の話ではないのです。
それでも話が通じなかったり、混乱するときは、少し時間を開けてみるとか、あるいはカウンセリングを促すのも良いと思います。
心と心のやりとりを瞬時に事務的に行おうとするのは大問題です。
コミュニケーションとは相手を思い遣る心が大切なのです。