スピリチュアル通訳/翻訳家のススメ 〜東京神社巡り〜

世界のサイキックを見てきたからこその辛口コメント。でも、「辻占い師」さんの力は聞く力。それは悩む人を癒すことに繋がるのかもしれない。

雷の神様の神社

土用の日⁻久しぶりに私は湯島天神に足を向けたところ、男坂を上っていくうちパラパラ雨。
人気の少ない本殿で参拝した後、日頃携帯してる傘をこの日は忘れてたことに気づき天神様の階の端に暫し雨宿り。そこへ微風に乗って聞こえてきたのは雅な今様を思わせる祝詞。折しも時刻は羊の刻。何気に奥を見やれば几帳の脇にひらひらと巻紙を繰る手だけ見えます。

毎日の祝詞奏上の儀式でしょうか? イスラム教の詠唱には何か哀訴のトーンがありますが、神道のこれは語り部が昔語りをするときのようにどこか明るく長閑です。そこへゴロゴロ、ドドーンと雷鳴が響きます。でもあの間延びした祝詞の節回しは少しも変わらず続きます。

天神様のご神体は平安の昔に朝廷から祟り神、雷公と呼ばれ畏れられた菅原道真公、そのやしろの端に身を寄せ、幽玄なメロディと自然界の爆発音の唱和に耳を傾け、銀灰色に渦巻く空をみつめ、休みなく叩きつける雨滴の飛沫を顔に受けていると、気分が静かにシフトして行きます。寸前に断念した滝行を街中に居ながらにして体験しているみたいな、まさに深山の奥域に自分がいるような気がしました。

雨安居、相見互い

仏教には雨安居⁻雨の日は家の中で労働を休んで穏やかに過ごすという言葉があるそうです。

私と同じように傘がなくて社務所や集合殿の屋根の下にそれぞれ雨宿りをしている人達の方を見やれば、サラリーマン、カタカナ職業とみうける雑多な男の人達が互いにつかず離れずビミョーに立っていましたが、時間の使い方に敏感と思える彼等さえそれなりにこの無為の時間を楽しんでいるような穏やかな気配が感じられました。

雨上がり女坂階段下、濡れた見台越しに古式手相占い師と

やがて空が明るみ雷も止み、振り返ればもう祝詞もいつの間にか終わっており、雨宿り組の人達も足早に各自の日常へ戻って行くところ。
私はもう一度神様に最敬礼し、鳥居へ向かいます。着た時男坂だったから帰りは女坂を。

昔から急な男坂とややなだらかな女坂は高いところの聖地にはつきものです。

上から見ると階段下の気の植え込みに寄せて小机に折り畳み椅子、手相と書いた行灯が見えます。ん、どんな占い師さんだろ? こんな天気の日に店を出してるとは……すかさずそこへ「オネエサン、観ていきませんか?」と。こんな日だからお代はお志でーと声の主は鄙びた初老のおじさん。
釣り込まれて手を出す私に「ほほーっ、運命線が半端なくツン抜け、神秘十字、こりゃ男の手、フツーの家庭じゃ持たないね。一つ事をやり抜きなさい。」そりゃもうよく判ってます。

結局最初の1-2分で手相の本で馴染みのあることを言ってるだけで大した心眼ではないと分かり私の期待はサット冷めましたが、やはり人徳の勝ちかな? このおじさんには素朴な良さがありました。
他人との対面には何か桜色のものを身に着けること、幸運日はこれとこれ、相性の良いのはマ行ラ行の人等フォローのメッセージを頂いた後1000円を出して代価としました。

怖いくらい当たる占い師さんなんてほんとにいるのかな? いたら是非お願いしたいところですが、そういうのもやはり総合的に相手心理を読むのが得意なコールドリーディングには勝てないのではないかと思います。でも聞き上手の占い師さんにはそれなりのヒーリング効果もあり、このように風情のある場所だとその効果は5割増しでしょう。

『辻占い師』という役は私も機会があったら一度は経験したい。昔から新宿の母とかあちこちに○○の母,XXの父と呼ばれる占い師さんがおられますがよほどサイキックでない限り、その評判の中心になっているのは悩みに寄り沿うカウンセリングの力、語り部の力だと私はシミジミ思いました。

》過去の記事はコチラ《