大切なものはお金では買えません。 〜「喜び」「満足」「充実感」を売っているお店はありません。 売っているとしたら、いくらで売っているのでしょうか?〜

「私たちが本当に欲しいものは「心を満たすこと」です。」

これまでの人生の様々な場面に欲しいものがありました。
ある時はギターだったり、車だったり。

それを手にするためにアルバイトをして頑張ったり、
食費や生活を切り詰めたりと、
必死になって働いたことが誰にもあるはずです。

ですが、そうして手にしたものが
今でも最も大事なものとなっていますか?
あんなにも思い焦がれて手にしたのに、
いつしか要らないものになって、どうやって処分しようか?
悩んだものもあるのではないでしょうか?

先日、私は人生最大級のフリーマーケットをしました。
出したものの数はおそらく500点ほど。
一つ一つに想いが詰まっています。
すごく苦労して買ったものや、
長い時間をかけて手にしたものもありました。

でも、人生の方向が変わったとき、
それらはなくても良いものに変わってしまいました。
本当に必要なものだけに囲まれたシンプルな生活をしようと思ったとき、
特別なディナーのための食器や、
特別な場面でのみ使うアクセサリーは不要なものになりました。

普段の生活ではとても使えない
特別な場のためだけのロングコートは
フリーマーケットという場では価値を認められず
100円で販売されました。

それでも、持っていったものは全部手放そうと思っていたので
思い切って全て手放しました。
ものの一つ一つに、たくさんの想いが詰まっていたので
身軽になるために、モノではなく思いを手放したいと思ったからです。

話を元に戻します。
一つ一つのモノを手放しながら、
欲しかったものはモノではなく、思いだったのだなあと感じていました。
いつかそれを持ちたいという思いを実現させたという満足感や充実感。

モノという形あるものを手にしたいという思いの内側には
そのモノを体験したいのではなく、モノを通して喜びを体験したいと誰もが思っているのではないでしょうか。

本当に欲しいものはお金では買えません。
「喜び」「満足」「充実感」を売っているお店はありません。
売っているとしたら、いくらで売っているのでしょうか?

私たちが本当に欲しいものは「心を満たすこと」です。
心を満たすことはモノからは得られません。
過去に、すごく求めたものがいつしかいらないモノになっていったように、
モノはその時々でうつり変わるからです。

 

「人生は「私」から「私たち」へと向かう旅」

モノに重きを置く代わりに、心を大事にしたい。
その事を全身で経験したいと思ったとき、モノを手放す事をし始めました。
今、人生最大級にモノを持っていない状態です。
モノが少ないと頭を使うしかありません。
アイディアを引出して自分自身を生かしたいと思うなら、
モノのない暮らしは一番チャンスを得ます。
モノへの必要が生まれたら、人に頼んだり、借りたり。
そうした人と人との関わりを新たに構築したいと思うようになりました。

人生は「私」から「私たち」へと向かう旅だとインドの聖者が語っていました。
幸せも、満足感も、喜びも
人と人との関わりの中から生まれます。

例えば音楽の才能を持っている人は、
自分で演奏しているだけではつまらない。
聞いてくれる人がいて喜びとなる。

料理が好きな人は、自分のためにたくさん作ってもつまらない。
美味しいと食べてくれる人がいるから嬉しい。

バスケット選手は、自分だけがうまくプレーしてもつまらない。
チームでわかちあるからこそ喜びがあるように、

誰もが特別な何かを持っています。
それらをわかちあう世界を望んでいます。

才能を競争や他を見下すことに使うのではなく
喜びでわかちあう関わりの中で現れるものは
お金では買えないものです。

本当に大切なものはお金では買えません。
どれだけお金を持っていても、どこにも売っていません。

 

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