至福は個人的な私が消えたところに満ちています 〜ボブ・フィックス日本ツアー「壮大な人生のマントラを味わう〜

どんなものも、どれだけ説明しても真に理解はできません。 体験したものだけが、知ることができるものです。
至福は個人的な私が消えたところに満ちています 〜ボブ・フィックス日本ツアー「壮大な人生のマントラを味わう〜

〜瞑想は集中して頑張ってするものではなく、
自然にそうなるものです。〜

頑張って急いで寝ようとしたとき、眠れなくて困ったことがあると思います。

眠りは、頑張ろうとするとうまくいきません。
いつも、気がつけば眠りに落ちているものです。
瞑想も同じです。
スイッチをいれれば、自然に空に導かれます。
瞑想は集中して頑張ってするものではなく、
自然にそうなるものです

 

〜考えに従う在り方から、感じていることに従う在り方に導くのが瞑想です〜。

私たちは、目に見える世界に集中するあまり、
次から次へと考えを渡り歩いています。
朝から晩まで考えて考えて、答えを探したり、選択をしています。
そして、考えに集中し過ぎて、自分が感じていることに気がつかずにいることもあります。
考えはマインドがしています。
感じることはハートがしています。
ハートを自分の中心に置いて、
考えに従う在り方から、感じていることに従う在り方に導くのが瞑想です。

感じるという感覚は、頭ではなく心と身体と、それを越えた部分で体験していて、
感じることを軸にする時、本来の広がりをもった自分らしい状態でいることになります。
感じるというのは、触れるとか、耳で聴くとか、目で見るといった
身体を通した感覚を越えた部分も含んでいるからです。
そこには、目に見える次元を越えた部分も含んでいます。
それこそ、ハートとともにある状態です。
私たちは、学校や試験や人生のいたるところで、頭で物事を覚えることをし過ぎてきました。
それが当たり前のように自分自身のベースにありました。

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瞑想は、考えや覚えることではなく、
物事の本質を感じることを私たちに思い出させてくれます。
考えに従う在り方から、感じていることに従う在り方に導くのが瞑想です。

 

〜私という自我がなければ、そこには愛しかありません。
愛が満ち満ちている状態しかありません。
それが自分の本質です。〜

ボブ・フィックス日本ツアーがスタートし、フルフィルメント瞑想実践者も、瞑想がまったく初めての方も加わり、空を体験しました。

壮大な人生のマントラとは、いったいどんなマントラなのか?
その呼び名からはまったく想像が付かずにいました。

以前、ラブマントラをお持ちの方は、ハートが温かくやわらかくなるようなマゼンタの波動に、とても穏やかな瞑想を体験していると思います。さらに去年、ラブ上級マントラを受けられたかたはそれがさらに加速する体験をしました。
私もラブ上級マントラが大好きで、こんなにも強く愛を感じるマントラは他にないと思うほどでしたが、ありました!
壮大な人生のマントラがまさに、完全にそれを越えていました。

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ハートから泉が湧き上がり、その澄んだ水によって周囲が満ちて、
澄み渡った泉の液体の中にどっぷり浸かるような瞑想を体験しました。
愛は、外側の何かではなく
ただ内側から湧くように現れるもの!という感覚をただ味わう体験でした。
自分が椅子に座っていることは知っているし、部屋や外部の音も聞こえるけれど、それが何かを判断するマインドはどこにもなく、
ただ、在る状態になっていました。
私という自我がなければ、そこには愛しかありません。
愛が満ち満ちている状態しかありません。
それが自分の本質です。

このマントラでの瞑想に関しての説明はほんの少ししかされません。
なぜかというと、言葉では表現できないからです。
そして、説明をすると、説明されたものを探そうとするマインドが動くからです。
愛はマインドで知ることは難しいのです。

この瞑想を説明することは本当に難しいと感じます。
愛をどう体験するか?
一人一人の感じる部分にかかっています。

どんなものも、どれだけ説明しても真に理解はできません。
体験したものだけが、知ることができるものです。
至福は、個人的な私が消えたところに満ちています。

愛は、この世界にあるどんな力よりもパワフルです。
愛はどんな人の内側にも満ちています。
至福は、個人的な私が消えたところに満ちています。

 

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