生きとしいけるものすべてが神の現れです~私たちは内なる神に導かれています~

生きとしいけるものすべてが神の現れということを、 神社は私たちの内側にノックして、思い出させてくれる場所です。

私のルーツとなる神社の鳥居の前に立つと、
「ただいま帰りました、これからおそばに参ります」
と、自然に頭が下がります。

自分のルーツとなる神社を知るには、特別な資格を持つ人からリサーチしてもらう必要がありますが、直感を使えば自分で見つけることも可能だと思います。

ルーツとなる神社に立つと、自分の中の軸がはっきりします。
根っこが生えたようなバランスのとれた感覚になります。
そしてなにより懐かしくて安心します。

 

~鏡に映るのは自分の姿です~

日本には八百万の神々がいるのに、どの神社にも神さまの絵や像はありません。
必ずあるのはです。
お参りをする自分の姿が、鏡に映し出されます。
鏡は、「ここの神様はあなたの中にいます」と教えています。

神社でのお参りは、神様のご開運をお祈りしたり感謝を捧げれば、
鏡に反射して自分に戻ってきます。
八百万の神さまは、あなたの中にいらっしゃいますよと教えてくれているのが鏡の存在です。

お参りは、目をつぶらず、まっすぐ前を見て
鏡があるなら鏡に向かって祈りを発信します。
すると、それは鏡に当たって、自分に戻ってきます。
つまり、自分の中の内神さまが活動することを意味しています。
鏡(かがみ)という言葉を見てみると、「か(我)み」と、かみ(神)の真ん中に我(私)がいます。まさに、八百万の神は私の内側にいることを鏡が表しているとも言えます。
鏡に映るのは自分の姿です。

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~お参りは内なる存在を動かします~

最初の鳥居は、物質世界とエネルギーの世界との境です。
そこから参道を通り、最後の鳥居は動いているエネルギーの世界と動きのないエネルギーの世界である空(くう)との境です。
お宮で現された空(くう)に向かって手を叩いて、音(波動)を放つことで、
空(くう)を動かすことができます。
動きの存在しない空(くう)に波動を与えることで、祈り(意図)を動かすことができるのです。
神社でお参りすることは、内なる存在を動かすことに繋がります。

神社に行くと、鳥居があり、参道があり、木があって、お宮があり……、
個性的で突飛なものはほとんどありません。

シンプルに、そこにある空間が表現されています。
鳥居をくぐると、そこにある音や匂いに敏感になります。
それは、気をひくような艶やかなものがないからです。
意識が自然に内側に向くように導かれています。
目で惹きつける外側の物ではなく、内なる感覚にフォーカスがされていきます。

神は姿を持つ存在ではなく、あらゆるものの中に存在しているということを
感覚で気づけるようにと、神社はさまざまな場面で導いています。
私は神社が大好きです。

鳥居をくぐった瞬間から始まる、ピンとした感覚がたまらなく大好きです。
神社に魅かれる人は、自分の中に起こるこの感覚が好きなのだと思います。
生きとしいけるものすべてが神の現れということを、
神社は私たちの内側にノックして、思い出させてくれる場所です。

 

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