夢は意識の体験です。

夢は「肉体の目」で見ているのではありません。 意識が見ています。
夢は意識の体験です。

〜夢は「肉体の目」で見ているのではありません。
意識が見ています。〜

朝、目を覚ました時から
私はここにいて、この身体とともに
身体を通してさまざまな体験をしているけれど、

夜、睡眠の中で夢を見ている時、
私たちの意識は身体に限定されない状態になっています。

意識は、私という固まった状態から、
全体意識へと広がっていきます。

私という個人的な意識が全体意識に溶け出すと、
エネルギーが動いて調和されていきます。
そのエネルギーの体験が夢の形で現れます。

時には怖い夢を見たり、
またあるときには、見たことのない美しい光景を眺めたり。

私たちは、夢を通して
意識にあるものを知ることができます。

夢は「肉体の目」で見ているのではありません。
意識が見ています。
「肉体の目」が見ている時は、意識の外側の体験ですが、
夢は意識の内側での体験です。

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今日は長野に向かっていますが、新幹線内の停車駅アナウンスで、「飯山」という懐かしい駅名に心が反応しました。

何年前のことだったでしょう? 寝ていた夢の中で、7柱の観音さま、お釈迦さま、如来さまが私の前に並ぶと、
「小菅神社にいらっしゃい」と言われました。

そこでハッと目が覚めたのですが、
日本中の神社を巡り歩いている神社通の私も初めて聞く神社でしたから、
飛び起きてすぐにネットで調べてみました。
そんな神社が本当にあるのかしら? と思いながら開くと、ありました。
それも、7柱の観音さま、お釈迦さま、如来さまなどがお祭りされていたのです。
神さまのお告げとばかり、ドキドキしながら数日後に、時間を見つけて向かいました。

その神社は長野の次の駅、飯山にありました。
今までたくさんの神社を訪ねたけれど、このような神社は本当に初めてでした。
ほぼ登山。
歩けど歩けど先は見えず、道は険しくなり岩だらけのゴツゴツになり、熊出没注意の看板が度重なり。
本当にこの山に神社があるのかしら? と、疑わしくなりながら進みました。
小菅神社は、戸隠、飯綱と共に信州三大修験霊場の一つで役小角が開いたとあります。

途中、蜘蛛の巣を払いながら、草をかき分けての道無き道を進みながら泥だらけになり、もう進むのを諦めようかと思ったほどの道のりで到着した神社は、しばらく誰も扉を開いていない古びた建物で、
宮司さんもいない、さびれた神社でした。

観音さまを始めとする7柱の存在たちが夢枕に現れて、
「いらっしゃい」と言われた神社にやってきたのに、
来てみたら何もない。
何のためにここに来たのだろう?
こんなに大変な思いをして、と少しふてくされながら、
今来た道を帰り始めました。
はるばるこんな遠くまでやってきたのに!!

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ところが、帰り道に気づいたのです。
行きには、先を急いでいたために足を止めなかった湧き水で足を止めて水を飲み、
緑の茂みに隠れていた花々に目を止め、舞う蝶を目で追い、
風が奏でるさまざまな木々の葉の音楽にも耳を傾けて、
深い呼吸をしながら大汗をかき、この土地のエネルギーと交流している自分に気がつきました。

ここにある土地の波動と調和するために、ここに来たのだと分かりました。
自分のエネルギーがすっかり入れ替わったように感じたのです。

神社を目指して歩いていたときは、
サインを探していたのだと思います。
目に見えるなにか! はっきりそれとわかるサインを!

ところが、ここで用意されていたものは、
目に見える触れられる何かではありませんでした。
ただ、感じることで得られるエネルギーでした。
うっかりミスしてしまうところでした。

神は、目に見えるものではありません。
樹々の葉の中に、花の中に、鳥の声の中に、空の雲の中に、
現れてはいるけれど、形ではなく感じるものです。

往復3時間ほどかけての山道で、頭から水を浴びたかのように汗だくになり、呼吸を荒くしながら、
体の中から汗と一緒に要らないものが出て、呼吸によって身体中の酸素が新しいものになったように感じました。

帰り道は、穏やかに心が澄んでいくように感じながら、
目に映るものすべてが愛おしく、
足裏に当たる石の心も自分の中に広がるように、
そこにある自然と一つになる感覚で、
呼吸が深くなり、感謝が溢れていました。

何か必要なことが起きて、エネルギーが変化したのを感じました。
本当に素晴らしい感覚でした。

その神社のそばにご縁が生まれ、数ヶ月前から仕事に来させていただいています。
飯山というアナウンスに、心の中に森が広がるようなときめきを感じながら、
あの日の夢を思い出していました。

誰の夢でもない、私の中から湧き上がった夢に、
7柱の存在達が現れ、聞いたことのない神社の名前が告げられ、
それが実在し、本当に7柱の存在達がお祭りされていたことを思い出しながら、「意識は何を見ていたのだろう」と。

夢は「肉体の目」で見ているのではありません。
意識が見ています。

 

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