あるがままの私になる〜あるがままの姿が一番美しい姿です〜

より多くのものを生産するというのは物質的には豊かに見えますが、大事なものを失うように感じます。

 

人もまた、圧力を受けると、どこかに歪みが生まれます。

本当にそれが自分らしい幸せな姿なのでしょうか?
出世したとして、自然にそうなった人と、がむしゃらにそうなった人は違います。魅力があるかどうかでそれを確かめられます。

私たちは何になろうとしているのでしょう?
計算して作り上げる何者か? なのでしょうか。
目指しているのは、本当の私ではないのでしょうか?
本当の私が、どんな能力を持って、どんな風に社会に貢献できるかではないのでしょうか?
あるがままの私になるとは、自分らしさを発揮することです。
たくさんの人がいても、同じ人などこの世界に存在しないように、
自分しか持っていない、自分しかできない特別な才能を分かち合うことが、本当の幸せなのではないでしょうか。
一人一人が世界全体にとって大切な役割を持って存在しています。
あるがままの姿が一番美しい姿です。

ストレスは実際、生産性を上げます。
より早く、去年より売上を伸ばして、よりもうけて。
それが大切なことだとしたら、去年より売上を伸ばすためには、去年より頑張らなくてはなりません。永遠に続きます。

より多くのものを生産するというのは物質的には豊かに見えますが、大事なものを失うように感じます。
本当に大切なものは何か? 自分はいったい何を目指しているのか?
心の部分を固めてから行動に移すことが求められていると思います。

えんどう豆はツル植物で、支柱にツルを絡めて成長します。
そのツルは一定の方向で登っていきますが、ツルの巻く方向を人間が手で逆にしてストレスを与えていくと3倍もの実をつけます。
人間も人生に大変なことが起きて、死ぬ気で働くことで生産性を上げることができるのと同じです。
生きるか死ぬかというストレスが加わると、生き残るために必死になります。
そうしたストレスを、人間の都合で植物に与えたくはありません。
植物は、人間に命を預けています。
えんどう豆の種にもそのストレスが引き継がれていきます。
そうした野菜を食べたいですか?
命を敬うことを私たちは最も大切なベースとして在りたいと思うのです。

真珠がどうやって生まれるか知っていますか?
本来真珠は、貝の中に小石や寄生虫が入り込んだため、異物から命を守るために小石や寄生虫を包み込んで生まれたものです。
今は、真珠をたくさん生産するために、貝をこじ開けて異物を入れて作り出しています。貝は異物が入れられたことで、その痛みを癒すために、一生懸命粘液を出して異物を包み込んでいきます。
真珠は貝の痛みから生まれています。
そして真珠ができた頃、貝はこじ開けられ、真珠は取り出されて貝は殺されます。真珠は、貝が痛みを癒すために生まれたのです。だから美しいのです。
真珠をただの宝石と見るのではなく、命が生み出したことを思いながら大切にしてほしいと思います。

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命に対してストレスを与える連鎖は数千年も続いています。

奴隷、戦争、ホロコースト、人種差別、階級制度と……。
それは終わりにしようと、人々は意識を変えてきました。
植物も、人間と同じく、意識も知性も記憶も持つ存在です。
水に塩を与えられて育ったトマトを受け入れて欲しくありません。
自然界に塩水が撒かれることなどありえないのです。
人間にそんなことをされながらも、真っ赤に色づいて、値段をつけて売られているトマトを、幾度も幾度も思い出しています。

人間に対しての慈悲というくくりを越えて、すべての命を大切にしていきたいと声を大にして叫びたくなりました。
どんな命も、あるがままの姿が一番美しい姿です。

 

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