自分の内側にあるものの投影 ~誰もが、自分の世界に生きている~

世界はあなたを中心に回っています。 誰もが自分の世界を持っていて、自分が作り出した世界観の中で生きているのです。

 

<人は誰もが、自分の内側にあるものを外側に投影して体験しています>

1本の映画を観るとき、その会場に100名の人がいるとしたら、同じ1本の映画でありながら、そこには100通りの見方と解釈があります。

誰もが、今までの自分自身の体験や考えを、そこに投影しながら見ています。

ある人は怒ってイライラしながら見ていて、ある人はため息をつきながらがっかりしながら見ています。
その通りだ!正しいと納得しながら見ている人もいます。

ボロボロの服を着た親を亡くした少女が、食べるものがなく、砂ぼこりが舞う大地に裸足でうずくまる姿の後ろに、その少女の死をいまかと待つ、鷹の姿を捉える写真がありました。

衝撃的な写真で、カメラマンは大きな賞を取ったと記憶しています。

100人が見たら100人の。
1000人が見たら1000人の受け取り方がある。
そんな1枚の写真です。

その土地で何が起きたのか?
その少女に何が起きたのか?
人間とは何か?
生きるとは何か?
人として大事なことはなにか?
助け合うというのは何を指しているのか?
地球人として、何をしたらよいのか?
何をするべきなのか?
自分の国はこれに対してどう対応するのか?

いったいどれだけのテーマが、たった1枚の写真からまさに噴き出したのでしょう? それはおそらくその写真を見た人の数だけあると言えるのではないでしょうか。
その写真は、それほどまでに奥行きのあるものでした。

このカメラマンは自分が写した1枚の写真が巻き起こした世界中の感情の嵐に耐えかねて、静かにカメラマンの道から退いたと聞いたことがあります。
なぜ、少女を助けなかったのか?見殺しにしたのか? という攻撃と批判に。

あなたは真実を世界に伝えるために素晴らしい仕事をしたという賛同と。
あらゆる感情と考えをこれほどまでに引き出したこの1枚の写真は、人それぞれの内側にあるものを見るために最適だったのです。

人は誰もが、自分の内側にあるものを外側に投影して体験しています。
誰もが自分の世界を生きています。
誰もが自分の世界に生きているのです。

この世界には法則があります。
それは、自分が与えるものは自分が受け取りものという法則です。
鏡の法則でもあり、すべては自分の投影だというもの。

完璧なルールの上にそれぞれがそれぞれの世界を生きています。
そうした意味で、これは完璧に誰もに公平な法則と言えます。

 

<世界はあなたを中心に回っています>

数日前、老人ホームを訪ねました。
そこには、痴呆のある約60名の方が暮らしていました。

訪ねた時間はお昼時。
10名ほどのグループに分けられて、大きなテーブルを囲んで皆が食事をしていました。
ところが誰ひとり、周りの人と話をすることなく、皆が自分の世界に浸って食事をしていました。

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周りの人も食事をしているということを、誰も気づいていない様子でした。
そして食事を終えても、それぞれ全員が車椅子に座っているので、スタッフが椅子を押して部屋に連れて行くまでのあいだは、テーブルに向かった状態で60名ほどの方がいました。

そこでは、そこにいた多くの人が、今自分は施設の食堂で大テーブルに皆と座っているとは気づいていないようでした。
目の前にいると思い込んでいる誰かにむかって怒ってどなりつけてテーブルを手でドンドンと叩いている人。
でもその向かいに座っている人は気付いていない様子でぼんやりしている。

お母さ〜ん、お母さ〜んと、お母さんを呼び続ける人。
目の前にいるとその人が思っている人に、ずっと同じ話をしている人。
12歳の時に意識が固定されて、12歳だと信じ込んで自分のことを話し続ける人。
空中を見て笑っている人や、空中に目を泳がせている人。

それぞれが、完全に自分の世界にいました。
周りは目に入っていないし、今ここにいること気づいていない。

私たちの魂は、体の中にすっぽりおさまっているのではありません。
体の中に魂の中心がありますが、魂は体を包み込むように周囲にも広がっています。
魂はあんがい大きなものです。

魂の中には、過去に経験した記憶が詰まっています。
魂は、感情を刻む場所です。魂が感じているのです。
空中に目を泳がせている人、空中を見て会話をしている人たちは、魂の中に刻まれている過去の記憶の場面を見ています。

12歳になっている80歳の人は、魂の中の12歳の記憶を体験しています。
今ここにいるのではなく、過去の強烈な記憶の中に生きているのです。
痴呆の人たちは、それぞれが、今ここにない、過去のどこかの地点に生きているようです。
その時の体験、記憶が強烈で、今ここにいるよりも、そこに惹きつけられてしまうのだと感じます。

たかが記憶。それでも、苦しかった記憶や辛かった記憶は、思い出すだけで胸が痛くなったり実際に動悸がしたり、冷や汗がでるものです。
そうした記憶が自分の中にあるのなら、まだそれは過去に終わったことではなく、いまここにあります。

まったく終わったことなら、動悸や冷や汗が出ることはないはずです。
今この瞬間も恐れを感じるなら、まだいまここの持っているということです。