今体験しているのは私の目や身体ではなく意識……人生とは、意識を通して自己を見ること、知ることです

寝ている時に見る夢も意識が体験していますが、 この現実的な世界も、意識が見ている夢です。 内側でみるか、外側で見るかの違いだけです。
今体験しているのは私の目や身体ではなく意識……人生とは、意識を通して自己を見ること、知ることです

<今、意識が私を通して体験している>

気の合う友人にあって楽しいな。
このミーティング面倒だなあ。
あの人の態度は嫌な感じだな。

わたし達は、朝から晩まで、
目の前のさまざまなものに、あれこれコメントしています。

これを、この身体の私の視点から体験するとき、コメントと共に感情も放っています。

同じように、この身体の私の視点を通しての体験でありながら、
「今、意識が私を通して体験している」と、一歩下がって自分の奥からの視点を持つとき、感情さえも眺めることができます。
感情と自分は、切り離されているような感覚です。

この視点が、本当の自己からの視点です。

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<海の底から海全体を眺めることが出来れば、内側のあらゆる活動が、すべて繋がりをもって表面に現れていることが分かります>

海を見るとき、私たちは海の表面しか見ることは出来ません。表面の波間を見て、私は海を見ているとは言えません。ましてや、私は海を知っていると言うことも出来ません。
海とは波の部分だけではなく、その内側の領域すべてを指します。

海の中には、山があり谷があり、様々な生物が生きている壮大な世界があります。
海の表面を見ているときは、海の一部を見て知っているに過ぎません。
海の底から海全体を眺めることが出来れば、内側のあらゆる活動が、すべて繋がりをもって表面に現れていることが分かります。

海の表面を見ているとき、
海の内側で起きているさまざまな活動を知ることは出来ません。内側で起きている活動が、表面に起きている動きとの関連も知ることが出来ません。

表面の視点とは、この身体の私の視点です。
一方、この身体の私の視点を通した視点のときは、海の底から海全体を眺める視点です。

私の視点というように、狭い領域に限定せず、
「宇宙が私を通して見ている。」
「宇宙が私を通して体験している。」
そうした視点と融合して、私の中からこの世界を体験していきます。

すると、私はこの身体にいながら、身体に限定されなくなります。
幅の広い、高い視点から物事を見れるようになります。

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<たくさんの目を通して自分が見ている>

机の上に、果物と花が飾られていて、
四方から人びとが取り囲んで、その静物画を描いているとします。
そこに30名いたとしたら、30の違う絵が描かれることになります。

同じ風景の静物画を描くことは出来ません。ひとりひとり、違う場所に立って描いているからです。2つの目を他の誰かと重ねることは出来ません。
これが、それぞれの視点です。
机の上には、ひとつの形があるにも関わらずです。

自分の目、そして他のすべての人の目を通して見ることが出来れば、すべてが正しいことが分かります。

「たくさんの目を通して自分が見ている」とは、身体の実際の目を通して見ることではなく、自分は意識なのだというところに軸をおくことです。

 

<あらゆる現象を、意識が見ています>

あらゆる体験は、意識がしています。
物質的に見えるこの世界だけは、身体を通して体験していますが、
物質的な身体に限定すると、見える世界は狭いものになります。
しかし「意識が体験している」ととらえる時、あらゆるものがつながりを持って現れていることを知ることができます。

寝ている時に見る夢も意識が体験していますが、
この現実的な世界も、意識が見ている夢です。
内側でみるか、外側で見るかの違いだけです。

あらゆる現象を、意識が見ています。
私という存在の身体には過去の様々な記憶が刻まれています。
そこには、世界の各地で繰り広げられた歴史が刻まれています。
それらを、意識は見ています。

私という身体を通して投影されたものを見ています。
この世界では、それを現実と呼びます。

私たちは自分の人生を通じて、魂に刻まれたものを投影しています。
過去に魂に刻んでしまった様々な記憶を眺めて、
私はこれにどのような意味づけをし、価値感を持っているのか? を観察しています。
人生は夢です。魂に刻まれていたフィルムを投影して眺めています。

いったい私の魂には何があるのだろう? と、
それを見ることが人生です。
人生は、私を見ること、私を知ることです。
体験しているのは意識です
あらゆる現象を、意識が体験しています。

 

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