【宇佐八幡宮奥宮境内】神秘スポット スサノオ待ちの大元八坂神社

民話が教えてくれることは、鉄鋼とハヤコのつながりです。

タカマから追放されたスサノオは、頼りの実姉ワカヒメにも見放されてしまいました。
かくなる上でスサノオが頼るすべといえば、ともに「天下(あめがした)をとろう」と口走っていた義姉ハヤコの元しかないのです。

うらぶれて荒み切った、刺青の罪人スサノオを迎えたのは、ハヤコが根城にし、徒党を組んだ大牟田の一族ではなかったのでしょうか。
大牟田の大蛇山祭りはスサノオを盛りたてる“祇園祭”なのです。
どん底を味わうスサノオはここで女大蛇に魂を癒されたにちがいありません。
その名残が長い時を経ても人々の気風となり祭りとして残っているというのは、本当に面白いことです。

大牟田の祇園さんが八坂神社ではなく、ヤツルギ神社となっているのは、元々は女大蛇が鎮座したからなのでしょう。
女大蛇とはつまりハヤコとのことです。

 

はぐれスサノオの旅立ち

大牟田の地で祭り上げられ元皇子としての尊厳を癒されたスサノオでした。
癒されるにつけ頭は次第にクリアになり、心のムラクモに涼風が吹き込むのを感じるようになりました。すると、そんな時には熱い思いが胸にこみ上げてきます。

本来は大きな働きをするために存在していることを自覚しながら、それができない自分にいら立った。
がしかし、ハヤコの言うようにタカマを転覆させて自分が皇位に就くことがソレではない。本来の働きを為すにはここには長く居るべきでない。

ハヤコのネットワークにより、越の実家やサホコ(後の出雲)に飛ばされた義兄たちからタカマ転覆の蜂起の渦は日に日に大きく強くなっていました。
ここ九州から軍勢を出している三狐キクツネ一族もいました。
あとはスサノオがその気になって陣頭指揮をふればそれで怖いものがないというほどに蜂起軍は盛り上がっていたのです。

アマテラスにすれば絶体絶命の国難です。
こんな時にこそしっかりスサノオが自らの働きを務めるならば、こんなことにはならなかったものを……。
というタカマ側の想いと、ここまで士気が盛り上がっているのになぜ、陣頭に立たないのか。
なぜ軍勢を鼓舞しないのか、と歯がゆい思いをするハヤコらの想いと、その両方のはざまでスサノオはまだ、どこにもより所なくはぐれて居ました。

そして、大牟田の女大蛇を捨てスサノオは舟に乗り広い世界へと旅立ち姿を消します。
ハヤコの目の前からも表舞台からも。

スサノオが次に姿を現すのは、かの有名な八岐大蛇退治の時です。

 

天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)

大牟田の地から忽然と姿を消したスサノオ。
しかし、ハヤコにはスサノオ以外に人生を掛けるものを持つことができませんでした。
宇佐宮を出た時点ですでに謀反人であるその身で、三女の元へ帰ることは許されません。

今や、その人生はスサノオを男にするためだけに存在していました。
スサノオ自身がわが身の働きをこの世の中で全うしたいと願うのとおなじエネルギーで、ハヤコはスサノオの働きを世に出したいと願ったのです。

後にハヤコは安芸で炭焼き男の女房として民話に登場します。
ホツマツタヱによれば、安芸の山ははげ山になったと言います。
炭は、製鉄業には欠かせない燃料であり、それが盛んであった安芸の山は製鉄産業のためにはげ山になり、さらに土砂災害の要因になっていた……なんて、現代と同じようなことがハヤコの時代にも起きていたようです。

民話が教えてくれることは、鉄鋼とハヤコのつながりです。
ハヤコは、スサノオを世に出す剣を何度も何度も作り鍛え直させて、世にもまれなる御業為す剣を彼に贈ろうと考えていたのではないでしょうか。

その剣こそ、三種の神器の一つ天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)です。

 

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(写真はすべてイメージです)