全てを捨て去る修行は自殺なのか?

人の命というのは、大切なものですが、スピリチュアルな視点からすると、「命を超越したところにこそ真理がある」という考え方もあります。

 

【衣類すらまとわない空衣派】

ジャイナ教とは、インドの宗教の中でも「徹底した禁欲主義と苦行を行う」ことで知られています。動物だけでなく、植物はもちろん、すべての存在を害さないために、地面に座る前には、そこにいる虫を払うために、必ず箒で地面を掃くという徹底ぶりです。当然ながら動物は食べませんし、根菜は掘り起こすときに地中の虫を殺す可能性があるということで食べず、「空衣派」は大気を身に纏うという考え方から、衣類すら身につけません。

生きていくだけでも修行といえる、ジャイナ教ですが、衣類はもちろん、「家や所有物、煩悩、最後には自らの身体を捨てることで悟りを得られる」とされています。その最終的な修行が「サッレカーナー」であり、断食の日をどんどん増やし、それと同時に食べることのできる食物を減らしていき、最終的には水だけを摂取し、最後には水すら飲まずにこの世から解き放たれるというものです。

 

【インドでは自殺は罪とされる】

日本の即身成仏と似ていますが、こちらはミイラ化する意図がないというのが地域性の違いかもしれません。宗教的な目的で行われるものですが、裁判所はこの修行法を「自殺」と認定しました。なぜ、自殺と認定されることがニュースとなるのかというと、インドでは自殺は「罪」とされているためです。自殺した人を罪に問うのは実質的に不可能なので、厳密にいうと「自殺未遂した人が罪人」とされます。前述したように、サッレカーナーは段階を踏んで、自らの身体を悟りへと向けていくために、自殺と認定されると、「修行の途中で罪人として捕まる」可能性がでてくるわけです。

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「苦しみに耐えきれずに自らの命を手放す自殺と、苦しみを乗り越え強い意思によって自らの命を昇華させる苦行を同一のものとする判決」にたいして、ジャイナ教徒は反発しており、上訴することになっています。ちなみに、このような問題が裁判所に提示されたのは「人権活動家」によるものということで、宗教的理解のない部外者による余計なお世話といった感じがします。

人の命というのは、大切なものですが、スピリチュアルな視点からすると、「命を超越したところにこそ真理がある」という考え方もあります。とはいうものの、現代社会の中で自殺や自殺幇助を容認してしまうと法治国家としてのシステムに齟齬が生じるということも充分に理解できますので、なかなか難しい問題だとは思いますが、修行者の遺言などのなんらかの形で対応できる体制が出来るのがベストといえるでしょう。

Penance to throw away their lives.
Do penance is suicide?

 

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