全てを捨て去る修行は自殺なのか?

人の命というのは、大切なものですが、スピリチュアルな視点からすると、「命を超越したところにこそ真理がある」という考え方もあります。

【仏になるための究極の修行】

仏教の修行で「究極の修行」であり。仏になる方法として「即身成仏」というものがあります。これは生前に多くの修行を積み重ねた上で行う、まさに「最後の行」ともいえるものであり、成就したならば「即身仏」、すなわち「仏」として祀られるようになります。

 

【自らをミイラへと変える苦行】

生きながら仏になるためにはどうすればいいのか? その方法を紹介しましょう。まず、基本的な修行はすべて終わらせて、「徳のある僧侶であると認められる」ことが大前提です。そのために、若い僧侶ではなく、ある程度高齢の僧侶が行うことがほとんどとなります。最初には「木食行」といって、「通常の食事を断ち、かわりに木の皮や木の実だけを食べる」ようにします。

まずは「五穀断ち」といって、種類は宗派によって若干変わりますが「米、麦、大豆」に「粟や小豆、胡麻」などを加えた主食となる「5種類の穀物」を食べないようにします。それを数年続け、次にそれに加えて「蕎麦、小豆、黍、稗、芋」などを加えて、「10種類の穀物」を食べないようにし、最後には木の実しか食べないというのを、人によっては10年から15年も続けるのです。当然、肉や魚などの生臭ものは最初から食べません。

こうすることによって、「体内の脂肪がほとんど無くなり、最終的には皮下脂肪、さらには水分も少なくなり」、言い方は悪いですが「干物」のような状態に近づきます。そうなった段階ですべての食を断って、「土の中に入ります」。このときに、息だけは出来るように空気穴は用意しますが、真っ暗で密閉された空間で、あとはひたすら鐘を鳴らし、お経を読み続けるのです。

水も食事を取らなければ、そもそも身体の栄養はほとんど無いので、数日で餓死し、鐘の音が聞こえなくなりますので、そうなったら空気穴すら塞いで、その後3年程度断ってから掘り出され、ミイラとなった遺体を「即身仏」として祀ります。文字だけで説明しても、かなり過酷な修行であり、それを「やり遂げるだけの精神力がある」からこそ、仏として祀られるわけですが、当然ながら現在ではこのような修行は行われていません。

 

【即身成仏を助けると犯罪になる】

なぜならば、この修行方法は木食行までは単独で行うことが出来ても、それ以降はどうしても「誰かの手助けが必要になる」のです。古い時代には徳の高い僧侶は村人から信仰を集めていたために、多くの手伝いが得られましたが、現代ではこのような手伝いをすると、「死体遺棄もしくは、墳墓発掘」、場合によって「自殺幇助」などで、手伝いをした人が罪に問われる可能性が高いのです。徳の高い僧侶が他人を罪人にするはずもなく、必然的に行われなくなったのです。

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【インドの裁判所が修行法を自殺と認定】

前述したように、日本では現在、即身仏になる人はいませんが、インドでは去年即身仏と似た修行法を行った人物を「自殺」と認定し、「裁判所が違法とした」というニュースが報じられました。こちらは「サッレーカーナー」という修行であり、ジャイナ教徒の出家者が行うものです。