末吉愛の「あなた本来の輝きを呼び覚ます ワクワク☆ミラクル自己実現メソッド」 PART.47〜答えは自分のなかにはないってホント?〜

わたしたちは、何を与えられているのでしょうか。

≪「答えは自分のなかにある」って嘘? ≫

答えは自分のなかにあるという見方と、それは嘘だという主張があるようで、これを知ったとき、興味深いなと思いました。
どちらも「正しい」からです。

それぞれの立場で言っている「答え」の意味も、「自分」の意味も明らかに異なっているので、どちらも「正しい」と言えます。

「答えは自分のなかにあるという、よく言われるあれは嘘ですよ!」。
なるほど、「前提」が違っているから、「嘘」だという発想になるのだなと思いました。

答えは自分のなかにあると言われているから信じていたのに、ちっとも解決策なんて出てこない。自分なりにこうすればいいんじゃないかと思ったことをやってみても、全くうまくいかない。自分のなかに答えなんて、ないじゃないか。
このような思いでいるとき、肝心なことを見落としています。

 

≪「答え」と「自分」の履き違え ≫

「答えは自分のなかにはない」という主張における「答え」とは、自分の期待や欲求通りに人生を動かすことができる秘策のことを指しており、ここでの「自分」とは言わずもがな自我(エゴ)そのもののことです。

それに対して、「答えは自分のなかにある」と言っているときの「答え」とは、「真の答え」(本当にわたしたちが求めているもの)のことであり、ここでの「自分」というのは、「真の自己」のことで、肉体を持った自分、これが自分と見ている自分(自我)のことではなく、ハイヤーセルフと言ってもいいし、清らかな心そのものと言い換えることができます。

何でも自分の思い通りに動かすための「答え」が、死をゴールとしている「自我」のなかにあるはずはなく(「答えは自分のなかにはない」)、そのような幻のアイデンティティとは無縁の、事実存在している「自己」(清らかな心そのもの、スピリット)につながるならば、いつでも「真の答え」——本当の意味で幸福になるためのガイダンス——を受け取ることができます(「答えは自分のなかにある」)。
だからどちらの言っていることも「正しい」のです。

 

≪ 求めるものを間違えると ≫

サレンダー(surrender:降参する、明け渡す)という語は、わたしの好きな言葉のうちの一つですが、人生をコントロールしたいという、できもしない欲求を持ちつつ、どうでもよいところで努力して「自分」の存在価値を感じようとする生き方、「答えは自分のなかにはない、だから外側へ探しに行くべき」という考え方の無意味さを、本当に心底実感したときにできることだろうと思います。

求めるものを間違っているときに経験できることは、「快・不快」、「一喜一憂」といった程度のもので、自分の人生が、自分の個人的な目線で「望ましい」と考えている人生の軌道からいつそれるともしれない、その恐怖と隣り合わせの毎日です。

「答えは自分のなかにはない」と信じているとき、求めるものを間違っているのだと言わざるを得ません。この世界には多くの誘惑があります。わたしたちが本当に望んでいるものが何であったかを、忘れさせておくのに十分なほど。

わたしたちが個々に存在していて、不完全で、だから足りないものたちを「自分」の外側で見つけることができれば幸せだと本気で信じてしまっているなら、一時的に自分の期待にそってくれる人物や、一時的に成功できること、一時的に快楽を味わえることを、常に求め続けるしかありません。永続的な幸福に背を向けているのですから。

 

≪ 本当に与えられているものを ≫

求めるなら、与えられます。
求めて与えられるものというのは、最初から備わっていたもの、本当の資質のことで、それを思いだしたいのだと願うならば、すぐに与えられる(思いだせる)ということなのです。
すでに与えられたものなのだから、それは「本当の自分」の内に在るのです。

わたしたちは、何を与えられているのでしょうか。

本当の完璧さを、本当の清らかさとうつくしさを、消えてなくなることのない永遠の本当の愛を、全員で思いだしたいと願います。

 

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