末吉愛の「あなた本来の輝きを呼び覚ます ワクワク☆ミラクル自己実現メソッド」 PART.43〜未知の恐怖、既知の安全?〜

「受け入れられる」のは、その内容を肯定的に感じていたり、期待や予期していたことだったり、以前は抵抗していたけれどもようやく認めることができるようになった内容だからで、「受け入れられない」のは、端的に言って、恐怖を覚えるからです。

 

≪ 新しいことや次のステップへと進むとき ≫

それでは一つ目の、「新しいことや次のステップへと進むとき」について見ていきましょう。

何かに新しくチャレンジするときや、今よりも大きく前進するとき、勇気を出して次のステージへと進むべきときがやって来たら、わたしたちはそれを「なんとなく」であっても感じるはずです。

もし本当に気づいていなかったとしても、ありがたいことに、何かしら問題が起きたり、環境が変わってしまったりして、必然的に向き合わざるを得なくなってきます。
そうなるまで気づかない(認めない)場合はそうなっていくし、そこまで何かが起きる前に気づけば(受け入れれば)、お知らせは止まります(言わずもがな「お知らせ」と言っても、自分で引き起こしているだけです)。

さらに自分の内なる力が拡がっていくチャンスがやって来ているのだから、喜んで一歩前進すればよいのに、なぜここにおいて「抵抗」が起きるのかと言えば、前回少し触れましたが、幸福を味わっては困るからです。

前進すること、その行動そのもの(何をするか)が重要なのではなくて、一歩踏み出すことによって今よりもっと愛と喜びの世界が拡がっていくこと、もっとギフトを受け取っていけるという道を選ぶことが、自我(エゴ)にとってはたまらないことなのです。

けれども自我が、「幸福を、真の充足を味わってはいけないので、あなたはこれ以上、扉を開いてはいけないし、さらに前進していはいけない。新しくチャレンジするなど、もってのほか」と伝えるのではなくて、わたしたちに何が起きるかと言えば、「うまくいかなかったらどうしよう」、「やってみて失敗したら恥ずかしい」、「そんな才能は自分にはない」などという思いが湧き上がってくるのです。

他にもよくあるのは、「時間がない」、「お金がない」という言い訳。これは実際忙しく、貯蓄にゆとりがないというのがもっともな理由となるので、この最強の呪文さえ使っていれば、愛の経験が拡がらずに済みます。

 

≪ 未知の恐怖、既知の安全? ≫

やってみてどうなるかわからないことに対して、わたしたちは強い恐怖を抱きがちです。
それがどうやら、今よりも愛と喜びを感じられるであろう選択だと「うすうす」気づいているとしても、慣れ親しんだ鳥かごの中で羽を休めて——いったい「いつ」の、「何」のための羽休めなのだかしれないけれども、そうやって終わりのない「準備」をして——いるほうが、ずっと「安全」だと感じてしまうのです。

自分でかごの中に好きで入っておいて、「時間がないから」、「お金がないから」、「才能がないから」と言って嘆き、まるで牢獄に閉じ込められた哀れな鳥だと言わんばかりに芝居を打ってピーピー啼いているのだから、わたしたち人間というのはおかなしな生き物です。

「直感」は本当の自己、高次の自己から来るのでした。
自分で作った「限界」という名の鳥かごの中で嘆き悲しむようにと、一度でも伝えられたことがあったでしょうか。
狭く、暗く、自由のない場所が、あなたの居場所なのだと決めつけられたときがあったでしょうか。

内側から自分でしっかり鍵をかけておいて、「いつか誰かが救い出してくれないだろうか」と待っていたところで、誰もやっては来ないのです。

「鍵(答え)はあなたが持っているのですよ、だから開けられる(決められる)のはあなたです」。

気づかないフリをするのをやめて、自分で作った鳥かごから飛び立った者だけが、真の自由と、安らぎと、幸福を味わうことができるのでしょう。
本当の意味での「自己責任」を引き受けて、「直感」の声に耳を澄ましたいものです。

二つ目の「これまで大事にしてきたことを手放すとき」については、次回述べたいと思います。

利他的自己実現:過去の記事

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