末吉愛の「あなた本来の輝きを呼び覚ます ワクワク☆ミラクル自己実現メソッド」 PART.43〜未知の恐怖、既知の安全?〜

「受け入れられる」のは、その内容を肯定的に感じていたり、期待や予期していたことだったり、以前は抵抗していたけれどもようやく認めることができるようになった内容だからで、「受け入れられない」のは、端的に言って、恐怖を覚えるからです。

≪「直感」がわかるとき、わからないとき ≫

「直感」がわからないという人でも、「うすうす気づいていること」ならわかる、ということについて前回PART.42で述べました。
難しいのは夢を実現させることではなく、「うすうす」の感覚を無視しないということであり、そのサインを放っておかないことの大切さについて触れましたが、今回はさらに「直感」について掘り下げてみたいと思います。

「うすうす」の感覚はわかるし、時折であれば「直感」だって受け取れていると感じることもある、でもやっぱりわからないときもあって困る。
そんなふうに思えることがあるかもしれません。

正確に言えば、「わからない」のではなく「わかりたくない」のであって、要するに自覚があろうとなかろうと「抵抗」しているのですが、この状態が顕著に現れるときが二つあります。
一つは「新しいことや次のステップへと進むとき」で、もう一つは「これまで大事にしてきたことを手放すとき」です。

 

≪ 受け入れられる? 受け入れられない? ≫

これらについて見ていく前にまず確認しておきたいことは、「直感」は本当の自己からやって来るお知らせであり、だからこそ誰にでもある感覚で、能力の差というものはなく、ただ受け入れるか受け入れないかの違いがあるだけだということです。

「直感」だとわかるときもあれば、わからないときもあるというのは、「わかる」・「わからない」ではなくて、「受け入れられる内容だった」か「受け入れられない内容だった」かということであり、「受け容れざるを得ない」と認められた場合は、「うすうす」の程度にとどめておき、「どうしても受け入れられない」場合は、「気づいていない」フリ、「わからない」フリをし、すっかり「忘れた」ことに——いっそ「なかった」ことにしてしまうのです。

「受け入れられる」のは、その内容を肯定的に感じていたり、期待や予期していたことだったり、以前は抵抗していたけれどもようやく認めることができるようになった内容だからで、「受け入れられない」のは、端的に言って、恐怖を覚えるからです。

「新しいことや次のステップへと進むとき」と、「これまで大事にしてきたことを手放すとき」というのは、大きな恐怖を抱きやすいので、そのお知らせがやって来ても、それを認めまいとして、「わからない」という状態を自分で作り出す傾向が強いのです。