末吉愛の「あなた本来の輝きを呼び覚ます ワクワク☆ミラクル自己実現メソッド」 PART.41 ~サインはさりげなく~

本当に受け取りたいと思うならば、心をオープンにしておくこと、子どものように単純でいること、何でも自分でやろうとしたり、自分は正しい判断ができるなどと思ったりしないこと。

≪ 「なんとなく」の感覚 ≫

「直感」を受け取って行動したいけれども、自分の感覚が「直感」かどうかわからないという声をよく聞くので、PART.34 〜「正解」と「すでにある答え」(その1)〜PART.35(その2)〜で以前取り上げてみましたが、今回は「直感」などを通してどのようにしてガイダンスがもたらされるかについて述べてみたいと思います。

人によって受け取り方はさまざまだとは思いますが、基本的にガイダンスというのはごくさりげない形でもたらされることがほとんどです。毎夜枕元に神々しい誰かが立っていて、お告げをくれるのではないし、ある日突然何もかもを見通したり予知できるようになるということはありません。

「直感」というのは「なんとなく」の感覚で、きまって言えることは「なぜそう受け取れたかは説明できない」のです。根拠がなく、なぜだかわからないけれどもそう感じたことなので、人に説明するのは難しいと言えるし、自分でもそう感じる理由がわからないので、気のせいだと思って忘れてしまうこともあるでしょう。
けれども誰もが「直感」などを通してガイダンスを受け取ることができるし、それをもとにゆだねて生きることができます。

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≪ 失敗から学んだ「直感」≫

これはサインらしいと気づくようになったのは小学生の頃でした。当時は「サイン」という言葉を知りませんでしたが、誰か(何か)がわたしを助けるために教えてくれているらしいとわかることができました。
わかるまでに何度か失敗を重ねています。それが何だったかもう忘れてしまいましたが、「最後の失敗」だけは今でもよく覚えています。

それは小学五年生の時でした。朝家を出るときに、机の上に置いてあった家の鍵が目に留まったのですが、いつも学校に行く際に持って出ることがないため(母は専業主婦で帰宅する時にはいつも家にいたので)、気にはなったけれども普段通り家に置いたまま登校しました。

下校時刻になり、家路についたはいいものの、チャイムを鳴らしても母は出てきません。何か用事をしているのかもしれないと思って時間を空けて再度押しても、物音ひとつしないのです。
留守だとわかったとき、途方に暮れました。いつまで待っていたらいいのかわからないし、母に何かあったのかもしれない。当時は携帯電話などありませんでしたから、随分不安になりました。

今朝どうして鍵を見たときに持って行かなかったのだろうと後悔しながら、どのくらいだったでしょうか、しばらく母の帰りを待っていたのを覚えています。買い物に出かけた母が、知り合いに遭遇して遅くなったか何かだったと思いますが、わたしには待っているその時間が非常に長く感じられ、「なんとなく」の感覚がどれほど大事であるかを学ぶよき経験となったのです。

それからは、なんとなく目に留まった物は必ず持って出かけるようになりました。
いつもは持って行かないソーイングセットが気になって持って行った日は、部活のキャプテン(男子バレー部のマネージャーをしていました)がはいていたジャージの紐が抜けてしまったときに役立ちました。

自分自身のことで助けとなるだけでなく、「なんとなく」の感覚は、関わる人にも助けをもたらすものなので、たとえそのとき自分が必要性を感じなかったとしても、この「なんとなく」には従うように気を付けていました。
「直感に従う」というのは、たとえばこういう、ごく自然なことなのです。