末吉愛の「あなた本来の輝きを呼び覚ます ワクワク☆ミラクル自己実現メソッド」 PART.35 〜「正解」と「すでにある答え」(その2)〜

わたしたちにできることは、愛から選べるようにただ祈ること。本当にそれが心からの祈りであれば、祈っている途中ですでに「答え」が見えてしまうことでしょう。

 

≪ 問いの前提 ≫

AかBか、どちらが正解なのかと考えるものの見方がすでに怖れに満ちています。そういう考え方で「ガイダンス」がほしいと思ってもまず得られないのは、AとBのうち片方が「正しい」というわけではないからです。
問いの前提がおかしいのです。いっぽうは間違った道、もういっぽうは正しい道。さあどっち? と思うときの「正しさ」とは、エゴの定義による「正しさ」(失敗がなく、傷つかず、恥をかくことがなく、成功していい気になって優越感に浸り存在価値を存分に感じられること)であって、愛のないものです。

それを「直感」を通して知れると思うのはおかしいのではないでしょうか。そんな「正解」を「直感で」知ることなどできるはずがありません。だから「直感かどうかわからない」、「何が直感なのかつかめない」のです。
愛でないものを愛を通して知れるわけがありません。愛は愛しか示しません。それ以外のものは実際には存在していないからです。

「直感」(愛に基づいたもの)を通して「すでにある答え」(愛からの教え)を選ぶためには、こうなれば自分にとって「良い」はずだ、こうなればそれは「悪い」ことだ、こうなれば「幸福」で、ああなれば「不幸」だという思いを手放していくこと、世の中で正しいとされている考え方、国や性別、年代で常識とされているものの数々をいったん脇へ置いておくことが大切です。

トリニティ第35回コラム用写真②

 

≪ 背後にある思い ≫

AかBかどちらを選べばよいのかということについては、究極的にはどちらでもよいことなのです。
決められないのは、その背後にどのような怖れが隠れているからなのか、しっかり観ていくとよいでしょう。Aを選んでだめだったら何が困るのか、Bを選ぶことによってどうなることを心配しているのか。

失敗したくない、苦労したくない、恥をかきたくない。そういったことのもっと奥には、愛されたくない、幸福になりたくない、心に平和を宿していたくない、大事に扱われたくない、これ以上心の充足を味わいたくないといったものがあるかもしれません。

実は傷つきたくないのではなく、傷ついていたい。だから「直感」より「正解」を求める。AかBかで人生が左右されるのだと思い込み、不安になっていたいのでなければ、「答え」はもう出ているはずなのです。

Aを選んでもBを選んでも、真の幸福は得られます。選んだものが人生を決めるのはなくて、選んだときの「思い」が、選ぶ心が人生を決めるのですから。
わたしたちにできることは、愛から選べるようにただ祈ること。本当にそれが心からの祈りであれば、祈っている途中ですでに「答え」が見えてしまうことでしょう。

 

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