末吉愛の「あなた本来の輝きを呼び覚ます ワクワク☆ミラクル自己実現メソッド」 PART.27 ~天職と利他的自己実現~

相手のために自分自身を本当に天に使ってもらったとしたら、その時間そのものが自分にとってとても大きなギフトなのだと感じられます。
末吉愛の「あなた本来の輝きを呼び覚ます ワクワク☆ミラクル自己実現メソッド」   PART.27 ~天職と利他的自己実現~

天職とは

これまで何度か「利他的自己実現」について述べてきましたが、今回は「利他的」であることについて深めてみたいと思います。

ここで言う「利他的」というのは、自分を犠牲にするという意味ではなく、相手の真の幸福のために、自分を天にゆだねて使ってもらう姿勢のことを指しています。それによって自分自身も喜びと幸福を感じられるという意味で、「利他的自己実現」と言っています。

もし「利他的」であることをきれいごと、あるいは犠牲的だと感じるのだとすれば、それはおそらく、そういう生き方は何も受け取れないこと、つまり損することであり、我慢を強いられたり、何かが自分から差し引かれたりすることだと思っているからではないでしょうか。

そうであるにもかかわらず、自分の人生の目的や使命、天職について知りたがるのだとしたら、それは矛盾を孕んでいると言わざるを得ません。なぜなら「天職」というのは、「利他的」な要素を抜きにしたものではないからです。

前回、才能について、「人の役に立つために、そしてその貢献によって自分自身も幸せを感じることができるようになるために(言うなれば利他的自己実現のために)与えられた力」だと述べました。その力を天に使っていただいて為していく、その行いを「天職」と呼ぶのだと思います。

「天職」とは、いっさい鍛錬しなくてもうまくいき、経済的に成功すると保証された職のことではないし、自分だけが幸福感を味わえること、誰かに勝って成功した気になれる職業のことではないのです。

「人のために、という生き方はきれいごとだ」と思ういっぽうで、「自分にとっての天職が知りたい」と願うのは矛盾しており、その言葉の裏には、地道な行動を抜きにして、お金に困らない手段がただ知りたい、という思いが隠されているのかもしれません。そうでなければ、天職が何かなどと尋ねる必要はないのです。

それはまさに「与えられる職」なのであって、「探しだすもの」ではありません。まして、「決めつけるもの」でもないのです。

 

「わたしたちの人生」を

これは持論ですが、「利他的である」というのは、「提供することに徹する」あり方のことだと思っています。ここでの「提供する」とは、自分が称賛されることや、相手に感謝されること、成功することをゴールにするのではなく、相手と自分の真の幸福のために行うこと、「させていただく」ことという意味で言っています。

そこにコミットしていないと、「相手の話を聞いて疲れた」、「対価を払ってもらっていない」、「こんなにもしてあげたのに」などといった不満が出てくるのだろうと思います。最初から何かしら、自分が「もらう」ことを期待していた、見返りを求めていた、それをこそ自分のゴールにしていたからです。つまり、そこで意図されていたことは、「わかち合い」ではなく「取引」だったと言えるでしょう。

相手のために自分自身を本当に天に使ってもらったとしたら、その時間そのものが自分にとってとても大きなギフトなのだと感じられます。しずかな喜びと平和な気持ち、そして溢れる感謝の思いに満たされます。

何ひとつ失ってはいないし、損などしておらず、むしろ増大してとてもゆたかなので、不満など湧きようがありません。

「利他的」、「人のため」というのは、自己犠牲のあり方ではなく、もっと正確な表現を試みるならば、自分にできることを提供することによって(授かった才能を活かして)「わたしたちのため」に生きる姿勢のことです。

そもそも、「自分のため」か「人のため」かという、分けて考えること自体に無理があります。何をするにせよ、誰もがみな「わたしたちのため」に生きています。そうせずにはいられないのが、わたしたち人間なのだと思います。「天職」とは、その真実をともに感じ合うためにこそ、与えられる職なのではないでしょうか。

お金や名誉に対するこだわり、人と比べては優劣を決めたがる思い、成功したいという欲求、そういったつまらないものたちを捨てて、「自分の人生」ではなく、「わたしたちの人生」を歩むと決めた先に見える世界の美しさを、心の手をつないで、みなさんと一緒に目撃したいと思います。

 

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