亡くなった人と会話する人たち〜EVP(電子音声現象)の始まり

すると法王は彼の肩を叩き、こう言いました。「ジェメリ神父、心配することはありません。この声の存在は厳密な科学的事実で、交霊術などとは全く違うものです。この実験は、死後の世界の実在性を確固たるものにする、科学的な研究の礎となるかもしれません」

息子をボートの事故で亡くしたある母親が、その息子とのデジタルレコーダーを使った会話で、心が慰められていると言っています。

 

機械で霊の声を録音する歴史は、意外に古い

かぐや姫という音楽グループの解散コンサートで、あり得ない声が録音されて話題になったのは、1975年のことです。
ネットで検索すると、いろいろな人が紹介している実際の音声を聞くことができます。

こうした超常的な声が録音される現象はEVP(Electronic voice phenomenon:電子音声現象)と呼ばれ、その声の主は霊であろうと言われています。
そもそも、テープレコーダーがシステムとして実用化された1898年の3年後、1901年に最初の記録が見つかります。

アメリカの民族学者であるボゴラスは、チュクチ部族のシャーマンに会いに行くため、シベリアに行きました。
暗い部屋の中で儀式が行なわれ、シャーマンはドラムをどんどん速く叩き、自分自身をトランス状態へと持っていきます。
驚いたことに、ボゴラスは奇妙な声が部屋中に響くのを聞いたのです。
声は部屋の四隅から聞こえてくるようで、英語とロシア語で話していました。
セッションの後でボゴラスはこう書いています。

「私は暗闇の中でもうまく録音できるように機器を設定しました。シャーマンが腰掛けたところは一番遠い角で、私から6mほど離れていました。灯りを消してしばらくすると霊たちが現れ、シャーマンの願いに応えて蓄音機のラッパに向かって話したのです。録音されたものを再生すると、シャーマンの声が背景に聞こえる中で、霊の声が当にラッパに向かって直接話されたように聞こえるのがはっきりと分かります。その間中、シャーマンの休みないドラムの音が、まるで彼がずっと一個所にいるのを証明するかのように鳴り響いていました」

 

ローマ法王庁も昔から知っている

1950年代初めのイタリアに、音楽関係の研究をしていたジェメリ神父がいました。
彼はいろいろな音楽をワイア式録音機に録音していたのですが、あるときワイアが壊れて直らなくなってしまい、どうしようもなくて天を見上げ、亡くなった父に助けを求めました。
その後ワイアがやっと直り録音していたところ、驚いたことに父親の声が録音機に入り、こう言っていたのです。

「もちろん助けるとも。私はいつでも傍にいるよ」

彼は実験を繰り返し、今度はユーモアに富んだ鮮明な声を得ました。

「でもズッキーニ、明らかなことだよ。私だと分からないのか?」

ジェメリ神父はテープを凝視しました。
小さい頃、父親が彼をからかうのにつけたこのあだ名は、他の誰も知るはずはありません。
彼はそのとき、父親と本当に話していたのだと悟りました。

父親が明らかにまだ存在していると知って嬉しい半面、恐れの気持ちも拭い切れません。
結局、彼はローマ法王ピウス12世のもとを訪れ、起こった事柄を話しました。

すると法王は彼の肩を叩き、こう言いました。

「ジェメリ神父、心配することはありません。この声の存在は厳密な科学的事実で、交霊術などとは全く違うものです。この実験は、死後の世界の実在性を確固たるものにする、科学的な研究の礎となるかもしれません」

ジェメリ神父はとりあえず安心しましたが、死の数年前までこのことを公にしませんでした。
この結果が公にされたのは1990年です。

 

EVPを世界に広めたユルゲンソン

スウェーデンのフリードリヒ・ユルゲンソンは、ポンペイの遺跡をライフワークとして描いていました。
この遺跡のすべてを描くために、どこにでも立ち入ることのできる許可が欲しく、彼は今までに描いた絵をヴァチカンに見せました。
それがヴァチカンに気に入られ、その後ローマ法王の肖像画も描いています。
また後年はフィルムプロデューサーとしてローマ法王のドキュメンタリーも作り、ヴァチカンと親交の厚い人でした。

1959年、フリードリヒ・ユルゲンソンは鳥の声を録音するために郊外へと出向きました。
録音した環境は本当に静かな、鳥たちのさえずりしか聞こえないようなところです。
ところが録音されたテープに変な雑音が聞こえ、さらに再生を続けると突然トランペットの音が聞こえ、その後に男の声が「夜の鳥の声」について何か言っているのを聞いて彼は驚愕しました。

テープをさらに注意深く聞くと、女性の声がドイツ語で何か言っていました。

「フリードリヒ、あなたは見守られています。フリーデル、私の小さなフリーデル、聞こえますか?」

彼を幼いときの愛称で呼ぶその声を聞いたとき、それが母親の声であるとユルゲンソンは確信し、自分が重大な発見をしたことに気づきました。
それから4年間の間、ユルゲンソンは何100という超自然的な声を録音し続けます。
そして、彼は国際的な記者会見で自分のテープを再生し、スウェーデン語で2冊の本を出版しました。

ユルゲンソンはローマ法王とも親交の厚い、スウェーデンの富裕階級たちの肖像画を描く、いわば町の名士だったため、彼が語る言葉は、かなり異常な内容にもかかわらず社会に受け入れられました。
ローマ法王庁は非常に感銘を受け、専属の研究員を公認しました。
記者会見だけでも各国の反響を呼び、出版された本は後にドイツ語に翻訳され、次の重要な研究者ラウディヴの目に留まります。

この後の話はまた次回に書きましょう。
最後によかったら、最初に出した母親の例を、こちらの動画で御覧ください。

これは元々イギリスで放映された番組を、私がプロデューサーの許可を得て、抜粋し日本語字幕を付けたものです。

 

《冨山詩曜 さんの記事一覧はコチラ》
https://www.el-aura.com/writer/semana/?c=126073