【 狐眷族『長老』。歴史語りはまだまだ続く…… 】
で、日本武尊様由来の星宮神社・第六天神社は封印の跡だった事は、このまえ狼に時間に潜ってもらって理解したねぇ。
後の時代、人間はご祭神を推測して『天香香背男(あめのかがせお)』もしくは『天津甕星(あまつみかぼし)』と呼ぶ。『天の神なのに悪神』という神様だと理解したりもした。これは北極星や北斗七星の化身と言われているせいで、神仏習合の考えの時には妙見菩薩とされたりしたものさ。
まあ合っているようで微妙に違う。
昔は彗星や流星で『被害』を受けた時に、天津甕星に荒らされたと考えた、恐ろしい神様=悪神なのは、地上に天から隕石が落ちて来たら、破壊する力は恐怖だったのだろうねぇ。日本の創世記は隕石が多く降り注ぐ時代だったのかねぇ。
狼は日本武尊様のヤマトによる、東国の呪いの封印の儀式を、遠目な視野からしかアクセスできなかったが、それは天界の秘儀だったからで、実際には隕石を埋めたのだよ。
何かしらの霊的な磁場みたいなものがそこから発せられて封印として起動している。
若い者は磁気テープなんて知らないかね?音や映像を磁気を帯びたテープに記録して聞いたり見たりしたものさ。それに似て石のなかには『思い』を記憶するモノがある。
日本武尊様の秘儀の様子は、重い雲の下、火を焚き踊り祈り、高い櫓の上に天から来た石を載せる。火は雨雲を呼び雷鳴が轟く。櫓は高いので石に落雷が直撃する。このとき石は、そこで祈った者の思いを宿す。
この頃は日本武尊様も生きたお身体を持つ存在でね。封印の意思の念をあちこちに施すにはこの方法をお使いになられた。力の強い魂は、怨霊や祀られて神となれば魂そのものを大地に打ち込んで封印となる事が出来るが、それは生きた体があっては出来ぬから、意思を記録するモノが必要で、ある種の隕石がそれに的確だったのだねぇ。
将門さまはそれを自分の魂で……
つまり、討たれて果てる事を覚悟の上で最期の戦いに挑んだのだね。落雷の代わりは怒りと悔しさ、石の代わりは自らの骨身と覚悟された。
だから藤原秀郷の槍によって流され大地に浸みた血は、星宮神社群の最強の結界に囲まれて最強の封印となった。復活を恐れる敵方にバラバラにされた肢体や血の染みた武具や魂は、あちこちに祀られ葬られることで広範囲な結界や封印になった。
江戸の北斗七星結界はご存じじゃな?
将門さま所縁の社が北斗七星の形に配置しているのは『平将門の呪い』を封じているのではなく、平将門さまが御身をもって『怨霊』との誹りをうけようが、古代ヤマトの呪詛の封印になられたものを、天海僧正が整え、その結界をさらに北で押さえこむとして、将門さまの最強結界の真北の日光に東照宮を作り、没しても世の安泰の封印として加勢して下さったのが徳川家康さまなのだよ。
家康さまは神として祀られたかったのではなく、祀られて封印となるお覚悟だった。
小野篁さまも、安倍晴明さまも、人であった者が祀られご祭神になるというのは、魂の一部が輪廻転生から外れて既存の祟りの封印となるか、祀られた人の御霊が祟らぬよう封じられているかのどちらかなのだよ。人の祈りによって鎮められたり、人の祈りによって力を増しもするが、ある意味過酷なことさ。
すべては織田信長、明智光秀、徳川家康、江戸300年の安泰を築いた戦国武将による計らいでもあった。
織田信長が自らを第六天魔王と戯れで称していたのは、星の封印に気づいていたからでね、真意を知らぬ秀吉は本能寺の変の後に大井川以西の第六天神社を全て取り壊してしまった。日本武尊様由来の神社は封印の跡だから破壊されても実害は無い。
信長の意思を継いだのは家康で、彼を助けたのは実在した天海という先輩僧の名と経歴を友情をもって譲り受けた明智光秀。
東照宮に明智家の紋があるのも、日光に明智平という風光明媚な場所の地名があるのも、家康さまが光秀さんの功績をいつか明かしたかったからなのさ。
信長さんも光秀さんも討たれてはいない。
……どうかね。皆への答えになったかねぇ。」
長老は恐ろしく優しくそう言うと、またにゅーっと目を細めた。