伽座守珊瑚の開運『狼語り狐語り』第14話~霊威強靭な眷族達の現代人間界を想う気持とは……

祠に集う狐達、狼眷族・狐眷族と巨大な化狐との戦いが明け、眷族達に残された想いは、人間界が気づかない現代の様々な事情に対する憂いでした……。

 

戦いの残したモノとは

その事件の夜、甚六は心に湧き上がる理不尽な寂しさが拭えずにいた。
ぐるぐると取り止めもなく無念な思いと考えが心を巡る。これは肉体を持たない魂だけの存在の疲労の現れ方で、掛け流しの湯のように心に現れる思いは、出し尽くす事でしか止まらない。

壊された祠や埋められた池など今までも人間の世では多数あっただろう。

しかし、その跡地には何らかの障りが人間に起きる。今回のように住処を追われたはぐれ眷族の捕獲や防護など、人間のした事の不始末を片付けるのは甚六やグラウのような眷族だが、因縁因果は祠を壊した人間に事件や不幸として帰ってくる。

しかし、たいていは人間が新たに神様にすがってその不幸から逃れようとするので、結局は後始末のまた後始末も神様のお使いの眷族がすることになる。

どんなに障り=祟りがあろうと、人間が非を認めて詫びるか、非がなくとも救いを求めて神様に祈らないと神様は人間に起こる不幸に手出しはされない。神様の手足として働く眷族も勝手に動くわけにはいかない。

人間のしたことは人間の手によって片付けるか、人間の願う心と詫びる心で神様がお働きになるかでしか解決しない。

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人間界では気付かない、眷族の苦労とは

たとえば、いじめの絶えない職場や学校は、祠や池、田畑や水路、井戸を感謝や供養なしで潰した跡に建てられている場合が多い。

今朝飛び出したような『はぐれ眷族』が潜んでいると、ゆがんだ人の心に入り込み、意地悪や無視などをさせて、そこに集う人間関係を歪ませる。

眷族は、自然の恵を護る自然霊=自然そのものを神として眷族であるモノのほうが多い。

命を育み作物を潤す河川、水路、井戸、湧き水にも力のある眷族はいる。それが汚されたり破壊されれば、自然霊の眷族もはぐれて妖怪化してしまうからだ。

喧嘩やトラブルの絶えない家には粗末にされ汚れた水回り、使われない物がしまい込まれて物置化した部屋、祀りが形骸化した屋敷神の祠のいずれかがある。そういう所にもはぐれ眷族は潜むからだ。

昔の人はトイレにも柱の一本にも住まいには神が宿ると考え、清潔を心がけ大切にした。まんざらまちがいでは無いのだ。

 

狐眷族の現代人への憂いとは

甚六たち眷族狐は稲荷様の眷族だけでなく、さまざまな神様や神上がりされて祀られた。生前は人として生きた祭神にも仕える。

たとえば、小野照崎神社の狐は小野篁さまのお使いで稲荷様の狐ではない。小野篁さまは役人として東北に赴任された折に、伏見稲荷の分社を建てて、竹駒神社の勧請(神様を分けてもらって祀る)をされているので伏見系の系譜の狐が縁あって眷族なのだが、稲荷の狐とは呼ばない。

稲荷の狐とも眷族同志分け隔て無く付き合うし、見た目も同じだからお社が違うくらいの感覚で、祠の自然発生的な狐集会にも良く顔を出す。
天神さま、菅原道真さまはお使いの牛が有名だが、龍や蛇、そして賢い狐もいる。

眷族狐共通の特徴があるとすれば炎を扱うことで『陽』の気を持つ。

炎

 

神様の使いが神様からはぐれると、それは『陰』に転じ、引きこもりな人間を増やす。
衣服に無頓着で風呂嫌いで夜型生活の人間は『はぐれ眷族狐』に憑かれやすい。憑かれると仕事や学校に行かず家に閉じこもるから家族(たいていは養い続ける親)が大変なだけだが、あまり増えると国も困るだろ
う。

近代の先祖や前の住民が稲荷を祀っていたが、代が替わって祀らなくなった家や土地には、神様の元に帰れずやさぐれた『はぐれ眷族』が居る。

元の稲荷の神様に、何日か供物を備えて詫びて供養したはぐれ眷族を連れて行き、良く詫びれば神様ははぐれ狐をトリートメントして引き取ってくださる。
このとき『祟るから去れ』ではなく、『先祖や前に住んでいた人がお世話になりながら、人間の勝手で放置してすみませんでした。』という気持ちがあれば良い。

もっとも、現代では、引きこもりやいじめで苦しんでも、どこの稲荷様の狐による障りかも分からないだろうから、地元の鎮守の神様や、お不動さまや観音様で有名なお寺の仏さまに、もとの稲荷に連れて行ってもらう祈願の仕方をすれば良い。