伽座守珊瑚の開運『狼語り狐語り』第10話~先輩眷族が語る、『人間の罪と罰』。対する眷族からの警告とは?

所は現代の東京。下町の片隅を舞台に、狼眷族『グラウ』と狐眷族の『甚六』が織り成す、面白おかしな物語……。古くから人間が何気なく起こす行動に、眷族達からの警告は発せられているのです。

 

狼語り……『人間の罪と罰』狼眷族が伝える礼節とは

「昔の人はね、自分の身に起きる事で、今の自分がどういう立ち位置に居るかを見極めた。『鳥糞が落ちてきて汚れたなら、身直に裏切り者がいるか、自分に同じ咎があるか省みる』とかね。」狐たちがやんわり表現してモロに表すのを避けた単語を狼のグラウは平気で言ってのける。休憩がとれて少し元気になったようだ。

「眷族は人間の罪を分からせる為の罰として糞尿を落とすんじゃ無い。その人間が業を積みすぎ無いいようにプラスマイナス0にしてやるのさ。立ちションしてばかりいる奴はそのままにしておくと無事に天寿を全うした後、あの世で自分が生涯でした量の10000とか20000の汚物にまみれることになる。生きているうちに10や20業がプラスされた辺りでセミや鳩の『それ』でマイナスにして0にしてやる事でもあるんだね。大難を小難にして眷族の下す罰はどれも人間の為になるものでなければならない、罰は報復ではない。」最期の方で『それ』と言って糞と直言しなかったのは上品な狐社会への配慮のつもりだ。

「はい。プラマイ0は、我等狐の得意とするものです。願っておいて感謝無く無礼な輩は、願う前の状態に戻してやります。そういう逆の使い方も有るとは勉強になりなす。」若い狐は狐の手本みたいな受け答えをして狼に追加の質問をする。

「『自分の身に起こることで知る立ち位置』をもう少し教えて下さい。」
グラウは質問どうりに『少し』答える。けちるつもりは無い。1を聞いて10を知る、狐達の優れた理解力を信頼しているから『少し』にする。

「汚いものに汚されるのは仲間と思う存在に軽度の裏切りがある警告。小さなケガは自分に足り無い事の警告。たとえば頭、否定もしくはバカにする者あり・脚は、恋愛や人情・足首は、自由・かかと、金銭・腕、友や仲間・手、仕事・肩、責任。鳥糞は天から落ちて来るから神仏や守護霊からの警告。道に落ちている汚いモノは地獄に引きずり込もうとしている悪霊や生霊に依る。臨機応変に解釈してくれ。」

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狐達は先程甚六が鳩係長に頼んだ文言の意味を察して力の抜けた笑いを交わし合う。
場が和むと「セミ部長とか鳩係長ってどこにいるのですか。」と、かなり無邪気な質問も出る。

甚六は「蝉や鳩の『集合意識』のわたしなりの仮称だ。特定の人間をターゲットにするのは鍛錬が要るだろうが『うるさく鳴け』とか、『ここに来て』なら誰でも頼めば通じるよ。昔グラウがこのやりかたでミツバチを畑に呼んで受粉させて作物の実りを良くしたり、野菜泥棒がヘビに遭遇して盗らずに逃げるように仕向けてきたのを見て、面白いから技を拝借したんだ。」と答える。

「へえ~グラウさんも我々稲荷狐みたいにお百姓さんを助けたんですね。」

「元はお山の神社の眷族だからな。今は町中に居るから、やさぐれた稲荷狐や悪霊化した動物霊の捕獲と更生役ってところか、なぁグラさん。」

甚六がグラウの分まで答えて勝手に同意を求めるものだから狼は「まぁね」と言い軽く首を傾げた。狼のグラウが社交的な狐たちと関わるに至ったのは甚六がグラウの力を借りるとき他の狐達を勉強になるからと呼び集めてきたからで、甚六とだけ関われば良いつもりが近隣の狐とも付き合う事になっていた。
面倒だが面白い。甚六のおかげだと感謝しているが、狼は互いに素性や能力をひけらかさず、狐は自分の力を開示し交際するのが礼儀。近くには稲荷社も併設された小野照崎神社境内の三峰社があるが、そこの老狼は陽気な狐たちにまみれながらも上手く狼の孤高を保っている。
このちがいはまだ修行が足り無いか?グラウがそう自嘲ぎみに空を見上げたタイミングで声を揚げたのは、その小野照崎神社の狐だった。

「狐の能力恐るべし。気持ちを読まれたか?」
そうではなかった。
小野照崎神社の狐は思いがけ無い事を言い出した。

 

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