神の領域に数式で挑んだ男・ケプラー〜感情美人への道Vol.62

古い常識を捨て、常に新しい真理を追いかける姿は、今の私たちにも必要な勇気かもしれません。

皆さまこんにちは。今回は前回に引き続き、占星術から発展した宇宙観の変遷を、中世ヨーロッパの天文史からご紹介したいと思います。
前回のコペルニクスに続き、今回ご紹介する偉人はヨハネス・ケプラーです。

“……私は自分の受胎の問題を検討してみた。受胎が起こったのは1571年5月16日午前4時37分。……こうして私は、月足らずであったが32週目に、つまり224日と9時間53分を経て、同年12月27日午後2時30分に生まれた”

こんなセリフを言う人がいたら、この人アタマ大丈夫!? と心配になりますよね。しかも400年以上も前に生きた人が。この一見ヤバそうな思考回路の持ち主が、今回の主人公ヨハネス・ケプラーです。

ヨハネス・ケプラー(画像提供/ウィキペディア)

ヨハネス・ケプラー(画像提供/ウィキペディア)

 

ケプラーは、近代天文学の始祖と呼ばれています。

絶対不可侵な神話の世界を崩壊させ「観測と計算」という物理学を持ち込んだ知の巨人(なのに、理系の人以外には知名度がいまいちです……)。

ケプラーは、前回ご紹介したコペルニクスが亡くなった28年後、ドイツのヴァイルという町に生まれました。コペルニクスが元々聖職者で星占いをしていたのと同様、ケプラーも占星術師でありイエズス会士。物理学の原点がそれを否定する宗教にあるって、不思議な因縁ですね。

前回紹介したコペルニクスが偉大な理由は、こうでした。

太陽の周りを地球が回っている事実を発見したことはもちろん、絶対的な力を持つ「信仰」と「学問の真理」の板挟みに葛藤しつつ【宇宙の真理】を世に知らしめた実績が、すごい!”

今回のケプラー、彼のすごさは何でしょう。

それは、天文学を神学から離婚させ、物理学と結婚させた実績がすごい!”のです。

ケプラーが生きた時代は、まさに時代の分水嶺でした。
古代ギリシャや中世から続く思考を、近代科学の精神で風穴を開ける時代。古いものを捨てなければいけない時代に、それを遂行できる人物として、ケプラーは生きたのです。

ケプラー初期の多面体太陽系モデル(画像提供/ウィキペディア)

ケプラー初期の多面体太陽系モデル(画像提供/ウィキペディア)

 

彼が残した最も偉大な業績が、【ケプラーの法則】としても有名な次の3つです。

1. 惑星の軌道が楕円形である事を発見した(楕円の法則)

2. 惑星はその軌道を同じ速さで動くのではなく、太陽から遠いときはゆっくり動き、近いときは速く動く事を発見した(面積速度一定の法則)

3. 惑星の公転周期の2乗と、惑星の太陽からの距離の3乗の比は、惑星によらず一定なことを発見した(調和の法則)

惑星の軌道が楕円なんて、別に不思議じゃないって思いますよね。でも今から400年前は、これはあってはいけない事だったんです。

神が作る世界は、全てにおいて「対称」の世界。
「非対称」があっては、ならないからです。

ケプラー以前の天文学者は「惑星の動きは、完璧な円における一様な運動である」という宇宙論を、忠実に守ろうとしました。それほどまでに、神の「対称性」は絶対的なものだったんです。でも、ケプラーはこれを膨大な「観測データ」で破壊しました。

とはいっても、ケプラーは元々しがない貧乏人。古い伝統を崩せるほどのデータなんて、持っていません。そこにパトロンのように現れたのが、デンマーク貴族のチコ・ブラーエです。

チコも貴族なのに占星術や天文学にのめりこんでいて、彗星や新星に関して膨大な量の記録データを残していました。でも、その活用の仕方が今イチ分からなかったんです。

そこにケプラーが呼ばれました。そして彼に割り当てられたのが、当時の天文学者を悩ませていた【火星の運動】の秘密を解き明かすことです。

前回も書きましたが、火星の軌道は地球から見ると変な動きをします。古代から「火星は観測を無視する星だ」と言われてきました。

ケプラーはこの謎に挑みます。何としても火星の軌道を決めなければいけなかったのです。でも、当時は惑星の軌道は丸い円以外ないと考えられていたし「重力」や「慣性」という概念もありませんでした。もっと言えば、x,y,といった「代数」という概念もありません。

太陽近傍(画像提供/ウィキペディア)

太陽近傍(画像提供/ウィキペディア)

 

1601年、ケプラーは亡くなったチコの後を継いで、帝国数学官に任命され、プラハに滞在します。

日本では『関ヶ原の戦い』の翌年ですね。徳川家康が豊臣家をやりこめようと手を打っていた頃、ヨーロッパでは近代的宇宙観を形成する【惑星の軌道】について研究が進められていたのです。

当時、天才ケプラーも想像を絶する苦悩をしました。現存している下計算だけでも、小さな字で900ページ。挫折してはやり直し、を何年も繰り返します。

そして6年という月日をかけて、ケプラーの法則の1番目と2番目を『新天文学』という自著で発表します。「惑星は天使や妖精が動かしているのではなく物理法則で動く」というのを世に訴えたのです。*ちなみに、この時まだ望遠鏡はありません。

しかしケプラーの発見は、当時の人から見ると理解不能だったようです。当時もっとも先見性があったと言われるケプラーの知人でさえ「そんな数学的な手順を想像してみることは私には不可能だし、理解なんてできません」と書いた手紙が残っています。

でも、ケプラーの法則に飛びついた人がいます。その1人が、ニュートンです。

ニュートンは、リンゴが木から落ちるのを見て、【万有引力の法則】発見したと言われています。けれど、その骨格をなしているのが【ケプラーの法則】なのです。そして同年代に生きたガリレオ。当時無名だったガリレオに、帝国数学官だったケプラーは、何かと目をかけてやっています。ニュートンにとっても、ガリレオにとっても、ケプラーは頭が上がらない存在なのです。

ケプラーは恩人のチコと喧嘩ばかりしていたり、女性を計算で選ぼうとして大失敗したり、正直、人としてそれほど尊敬できるという訳でもありません。

でも、日本で言ったら織田信長レベルにすごい人です。何千年も続く伝統や宗教といった世界に、合理性や客観性という事実で風穴を開けたのですから。

現在、宇宙空間にはケプラーの名を冠した『ケプラー宇宙望遠鏡』が浮かんでいます。そして近年、このケプラー宇宙望遠鏡が、1500光年の彼方に地球より優れた文明を持つ星がある可能性がある事を示唆しました。白鳥座の一角にある恒星【KIC8462852】です。

「惑星の文明レベル」については機会があればまた書こうと思いますが、地球のレベルが0.73だとすると、この惑星のレベルは最低「2」では?という物理学者もいます。

400年前に、神の対称性に挑み、中世から近代物理学の扉を開けたケプラー。

「地球以外に知的生命体はいないなんて、昔はよくそんな事言ってたよね」と振り返る未来は、そう遠くないでしょう。私たちの銀河系だけでも、2000億個の星があり、そんな星々を内包する銀河が、宇宙には1000億個もあるのですから。

古い常識を捨て、常に新しい真理を追いかける姿は、今の私たちにも必要な勇気かもしれません。

 

参照:
『ヨハネス・ケプラー 近代宇宙観の夜明け』アーサー・ケストラー
NHK BS『コズミックフロントNEXT』

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