地動説を唱えた偉人・コペルニクスの葛藤
〜感情美人への道Vol.61

コペルニクス、教科書での扱いをもっと大きくして欲しいと思いませんか? 闘うのが戦場でなかっただけで、彼も宗教と学問のはざまで、ずっと闘っていたのです。

テレビや雑誌を見ていて、つい気になる星占い。でもこの占星術、もともとは聖職についていた天文学者の仕事だったってご存知でしたか? 今回と次回に分けて、占いから発展した宇宙観の変遷を、中世ヨーロッパの天文史からご紹介したいと思います。

皆さんは、中世ヨーロッパの著名な天文学者・物理学者というと、誰を思い浮かべるでしょうか? すぐ出て来るのは、宗教裁判にかけられて「それでも地球は回っている!」という逸話を残すガリレオ・ガリレイと(本人はそう言ってはいないようですが、かなり反体制の人だったようです)、万有引力の法則を発見したアイザック・ニュートンですよね。

でもこちらの記事では、その天才二人に最も影響を与えたものの、なぜか知名度では負けてしまうニコラウス・コペルニクスヨハネス・ケプラーのすごさについて、回を分けてご紹介したいと思います。

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ニコラウス・コペルニクス(画像提供/ウィキペディア)

 

今日取り上げるのは、コペルニクスです。

パフォーマンスが派手なガリレオのおかげで影が薄くなりがちですが、最初に【地動説】を唱えたのは、ガリレオじゃなくてコペルニクスです。

コペルニクスは、何がすごいのでしょう。

太陽の周りを地球が回っている事実を発見したことはもちろんですが、絶対的な力を持つ「信仰」と「学問の真理」の板挟みに葛藤しつつ、【宇宙の真理】を世に知らしめた実績が、すごいのです。

少し、天文学の歴史を紐解いてみましょう。時代は古代ギリシャ(B.C.4世紀)まで遡ります。ここではアリストテレスが「地球が宇宙の中心であり、その周りを全ての天体が円を描いて回っている」という天動説を唱えます。同じ頃、同じギリシャのアリスタルコスは、月の大きさから「地球ではなく、太陽が中心だ」という地動説に近い理論を発表するのですが、その後コペルニクスが現れるまで、この説はお蔵入りになってしまいます。

勢いづくのは天動説です。同じ古代ギリシャのプトレマイオスが、1世紀頃に
『アルマゲスト』という天動説を体系化したテキストを作ります。驚くのがその精緻さです。私たちが想像するような、地球の周りをただ惑星が回っている
シンプルな絵図ではありません。

アルマゲストの天動説では、「惑星は、殻のようなもので仕切られた中で円形に動く」と考えられていました。でも、惑星の動きは不規則ですよね。天動説は、この動きさえもそれぞれの惑星の動きの中心をずらす事で説明しています。

例えば、コペルニクスや次回説明するケプラーも、一番頭を抱えた火星の軌道。

天動説で、火星の軌道はどう観測されていたのでしょうか?火星は、天球の右から左方向に進むのですが、まっすぐ進んでくれればいいものを、途中でUターンする「逆行」という動きをします。そしてしばらく「逆行」したかと思うと今度はまたクルリと向きを変えて再び「順行」します。そしてこの複雑な動きさえ、『アルマゲスト』の緻密な観測データは捉えています。現代観測される火星の軌道を、天動説はほぼ違わず再現できるのです。

加えて、天動説はキリスト教とも密接に結びついて行きます。「神」という抽象的な理念をどう表すかという時に、アリストテレスの体系によって解釈する流れになりました。つまり、ここで地球中心の宇宙観が教会公認の宇宙観になったのです。

コペルニクス、実は本業が聖職者なんですよ。聖職者って、星占いをしないといけないんです。星占いするために夜空を観測してたら、その魅力にとりつかれて、すごい事実を発見してしまったのがコペルニクスなんです。

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地動説(下部の図)、天動説(上部の図)の二つの模型の比較(画像提供/ウィキペディア)

 

地動説が動き出したのは1497年3月3日。

コペルニクスは月が星を覆い隠す「星食(せいしょく)」を観察していました。すると、月に隠れた1等星のアルデバランが、天動説よりずっと短い時間で月から出て来てしまったんです。何だか天動説は怪しいな、と感じたコペルニクスは、仕事の合間を縫って観測を続けます。