感情美人への道Vol.29 〜困難の中に意味を見つけよう〜 Find True Meaning in Hard Times

もしみなさんが絶望的な状況に直面したら? 今回は、「人生を変えるほどの意味」を見つけ出したお二人のお話をご紹介します。

前回の記事『感情美人への道Vol28 〜生きる力になるストレス〜』では、こんなの嫌! 逃げたい! と思うようなストレスが、実は「人生を前へ進める原動力になり得る」と解説しました。ただ、ストレスを力に変えるには「今感じるストレスには、大切な意義がある」と「プラスのストロークを持った意味」を付ける必要があったのでしたね。

感情は出来事から直接生じるのではなく、

①出来事が起こる
②それに対して自分が何かしらの意味を付ける
③怒り、不安、孤独、焦りなどの感情が生まれる

というプロセスを踏んで生まれます。ですので、感情をコントロールするには、まずこの「意味付け」を考え直す必要があるのです。

意味なんて簡単に見つからないわ、という方に、今回は絶望的な状況からも「人生を変えるほどの意味」を見つけ出せた2人の達人を紹介します。皆さんがもしこの2人と同じ状況に直面したら、どんな意義を見出せるか考えながら読んでみて下さいね。

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1人目は、東京大学教授の福島智(さとし)先生です。

福島先生は、この世界で最も過酷なハンデを背負っています。原因不明の病気によって3歳の時に右目を失明し、左目の視力も9歳の時に失います。更に14歳で右耳がほとんど聞こえなくなり、18歳の時には残された左耳の聴力も失ってしまいます。いわゆる「全盲ろう(ヘレンケラーと同じ)」状態です。想像できるでしょうか?一切の光も、音もない世界で生きていく事を。

福島先生も当然「なんで俺だけ目が見えなくなって、しかも耳まで聞こえなくならなければいけないんだ!」と非常に強い不安と恐怖に襲われました。しかし失意の底で学校に戻った時、友人がこう手のひらに書いてくれたそうです。「しさく(思索)はきみ(君)のためにある」。

過酷な運命に向き合いながらも、言葉と思索が自分に与えられている。「絶望」と「苦悩」はイコールではない。自分のこのしんどさを、「将来を光らせるために必要なもの」と捉えるようにしたのです。

“目が見えず耳が聴こえないというのは、生きている価値がないのか? でも自分は生きている。じゃあ、この命があるという事はなぜだ?”

こう自問するうち、福島先生は、自分を生かしているのは「大いなる存在」であると考えるようになります。それが自分に苦悩を与えているのだから、その苦悩には何らかの意味があるのだろう。そう気付いてから、先生は日本で初めて全盲ろう者として四年制大学に進学し、その後は深い洞察力で多くの人に希望を与えていらっしゃいます。

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そして福島先生の思想に多大なる影響を与えたのが、2人目に紹介するヴィクトール・E・フランクルです。

フランクルは20世紀の名著と謳われる『夜と霧』の著者で、第二次世界大戦中にナチスドイツから強制収容所に入れられたユダヤ人の心理学者です。

この世の地獄のような強制収容所で、家畜以下の扱いを受ける日々。この絶望的な経験から、どんな意義を見出せと言うのでしょうか。

タバコ一本をスープ一杯と変えた方がいいか、人をいたぶるのが好きな監督のグループから逃れる術はないか等、命を永らえる事しか考えられなかったある日、フランクルは「ちょっとふざけた考え」をしてみました。

“自分は今、ライトを浴びて豪華な大ホールのステージに立っている。大勢の聴衆は私の講演に熱心に耳を傾けていて、私が彼らに話すのは「強制収容所の心理学」。今わたしをこれほど苦しめている全ては客観化され、学問という高尚な部分から描写されている”

この大いなる妄想がきっかけで、「心理学者として、この希有な経験を徹底的に観察し、後世に伝えるのが自分の使命である」と考える様になったのです。強制収容所を生き残った人達には一つの条件があったと言われます。それは「未来に目的を持っていたか」どうか。「自分が人生に何を求めるのかでなく、人生が自分に何を求めているのか」をフランクルは掘り下げていったのです。

フランクルは、こう言います。

「絶望=苦悩 − 意味」

つまり、苦悩より大きな意味を見出せば、絶望は存在しないという事です。

彼らの様に苦難の中に意味を見出せる人を、どんな過酷な運命も打ち負かす事はできないでしょう。

 

参照:
『ぼくの命は言葉とともにある』致知出版社 福島智
『夜と霧』みすず書房 ヴィクトール・E・フランクル

 

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