コラム「幸せにでもなってみるか」Part.6 〜 平行時空について ~ガクト(気功家・ヒーラー)

気功家・ヒーラーの「しもかりがくと」さん。過去公開を控えていた、ご自身の落雷事故の経験についてお伝えします!

~ 高次元への覚醒 ~

まるで不思議の国のアリスのような経験をした、その日の夜から毎晩のように、ある「同じ定義の夢」を見るようになった。
いや強制的に見させられているという感覚に近かった。

ある時は、とある外国のカレッジ、教壇には僕と見知らぬ初老の外国人。
大きな黒板に無数の様々な数式と図式で「0」ゼロという定義を熱心に僕に伝えようとしていた。

またあるときは、広大な山脈の景色が見える寺院、壁が無い吹き抜けの部屋の中央に、僧侶らしき初老と胡坐をかいて向き合い、様々な色の砂で器用に図形を書き「0」を伝えてきた。
初老の僧侶が、日本人の本質はゼロなんだと云うと、チャーミングに微笑んだのを今でも覚えている。

それらは毎晩、講師が入れ替わり、約一ヶ月ほど続いた。
毎晩入れ替わり出てくる彼らが、何の目的なのか、また彼らに共通する点は何なのか知る由も無かった。

 

 

~ キーワード「0」ゼロとは? ~

「0」ゼロというキーワードに興味を出し、夢に出てきた講師のイメージを加えネットで検索してみたが、これだ!というものは見つからなかった。
暫らくすると、今度は、過去世であろう自分が死ぬ瞬間の夢を何度も見るようになっていった。

よく、前世占いなどで聞くような「あなたは◯◯のお姫様です」なんて丁寧なものではなく、夢の中では自分とその時の人物が融合していて、実際には自分が何者かさえ分からない状態だった。
しいていえば、周囲の人達の服装や建物から、なんとなく歴史やどこの国くらいはさっしがついた。

あるときは、白と肌色の土を使った建物が並ぶ町並みの路地裏で、白いターバンを巻いた連中から、やってもいない罪をかけられ僕は殴られた。
その時の僕は心臓が悪かったようで、一発目に胸にもらったパンチでノックアウトし、そのまま心臓は止まった。

また、あるときは凄い山上の四畳半ほどの狭く薄暗い、土の壁で出来た部屋、小さな窓からは青空だけが垣間見れた。
薄黒色した東洋人の女性がひとり、横たわる僕の胸元で泣き崩れていた。
その時は病のようだった。

これはなんだ?
前世の記憶?

暫らくの間、定期的にそんな夢を見るようになった。

ところが、その日の夜は違ってた。気功をはじめて暫らく経ったころのある夜だった。
それは僕が次に向かうかもしれないであろう未来の映像だった。
それはこの場では云えないが、周りの景色を見てそれが未来であることは理解できた。

しかし、その夢を見た翌朝、あることが頭をよぎった。
その瞬間、長年ずっとモヤモヤしていた感覚が、すっと消えていくかのように全てが腑に落ちた。

それは、この世界はひとつなぎの時空、つまり僕たちが住む三次元(字間の定義を加えた四次元)以降の世界が存在し、そして別の時空「平行時空」の存在を理解するためのものだったのだと確信した。

 

 

~ 平行時空では時間という定義が存在しない ~

つまり、始まりも無ければ終わりも存在しないことになる。
様々な方法で他時空のエネルギーが働き、僕に五次元以降の仕組み、つまり時間の流れは僕らが今いる四次元までの話で、人は死ぬと、それ以上は時間の定義が無くなる世界へと向かうということを理解させられていたことに気づいた。

簡単に言えば、5次元以降の世界は、「過去も現在も未来も存在しない」、まるで全ての歴史が記されている思い出アルバムを見ている達観者になるということだ。

時間の定義が無い。だから「0」ゼロ。

人は死ぬと一時的に思い出の場所に停滞するように見える(感じる)が、おそらくそれらは他にも無数の時空が平行に存在していて、死んだときの時空は時間的なエネルギーがゆっくり溶けていくときに、別の時空とかぶったものが薄っすら見えたりる。

そして、つじつまを合わせるように、またべつの時空にも影響を及ぼしていく。
それは分厚い辞書の1ページ目の薄い紙から2ページ目が透けて見えているような、そして死ぬと、その本の全てが透けて見えているような感覚。

これらが良く聞く「パラレルワールド」と呼ばれているものなのかは僕には分からない。
なにせ、これを語るのは今回が初めてなのだから。

雷に打たれた事を考えると、その時空間を通り抜ける事ができるのは、おそらく光と磁気のようなエネルギーだけなのかもしれない。

ただ云えることは、そこはいま僕らが住んでいる三次元(時間の定義を加えた四次元)ではなく、その上の次元。おそらく先ほどの辞書でたとえるなら、ページではなく、辞書そのものという五次元以降の世界と云うことになる。

そこでは時間と云う概念が無いので、自分が行きたい年代に行き、もう一度やり直すことが出来る。
たとえば、今の僕が突然亡くなり、また同じ時代を生きたいと選択すれば、ページの端を折り曲げたくだりまで、またこの時代に何度も戻ってくることが出来る。
しかし、重要なことは、まったく同じ時間を生きるわけではなく、決められたルールのようなものに沿って、所々小さな物事は変化していくようだ。

就職先や結婚相手、友達など。
ストーリーの内容には若干の違いがあるようだ。

 

たとえば、夢で見た事が現実化する「デジャブ」ってあるじゃない?
あれは何度か同じ時代をやり直しているうちに、現次元と多時空と生じる矛盾なのかもしれない。
それをいうなら、未来を予測できたりする超能力者なんかは、同じ時代を何度も繰り返しているだけかもしれない。
僕の夢の中で何度も「0」ゼロについて教えてくれた人たちは、その平行時空で何度も様々な時間を繰り返してきた人たち。そして多時空からのメッセージ。

もしかすると老子やブッダ、アインシュタインも、いや現在までにおける全ての歴史的な指導者の多くが、同じ時空を何度もやり直した者なのかもしれない。
何度も、何度も――。

ビートルズのポールマッカートニーは、ある朝、突然寝起きに名曲「イエスタディ」のメロディーを思いついたと云っている。
またアインシュタインにいたっては夢の中で相対性理論の重要なメカニズムを見たとも云っている。
はたしてそれらは本当に偶然なのだろうか?
いや何度も同じ時空間を繰り返しているからに過ぎないのではないだろうか?

ソウルメイトと呼ばれている者の多くも、共にこの平行時空を行っているときに出会う存在であり、最初からある程度のストーリーに沿って巡り逢っていく。

つまり、話をまとめると、今までの経験が現在の自分を創っているのではなく、未来の自分の意思が、今の自分を創っているということになる。

では、未来に向かうという選択肢はあるのだろうか?と云う新たな疑問が生まれる。
先ほど僕は、未来の世界を夢の中で体験した事があると話したが、今現在は、この時代で何度目であろうか、同じ内容のコラムをまたこうして書いていることになる。

つまり、未来の僕が選んだ時空は、過去でも未来でもなく、今の時代だという事だ。
もちろん未来への選択肢も存在するけど、いまの自分が現在を選んだという事は、理由は一つ。
今の自分が未来(新たに再生する時空)を作ることが出来るということだ。
つまり今の僕たちは、過去から現在に生きているのではなく、未来の自分が導く期待にこたえようと、2015年の今を生きている事になる。

 

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コラム「幸せにでもなってみるか」Part.5 〜奈良・春日大社式造替奉祝行事奉納・龍笛演奏~ガクト(気功家・ヒーラー)