親との対決① 〜子どもの頃の自分には言えなかったことを親にぶつけてみよう〜

話してもわからないのなら、親との対決は無駄なのでしょうか?

横浜で『今いる場所で違う景色を見る』エネルギーワークとボディーワークを組み合わせたクリアリング鍼灸・マッサージの施術をさせて頂いているホリスティックケア・プアマナのサマンサです。

インナーチャイルドを癒し、自分の尊厳を取り戻すための方法として、子どもの頃の自分には言えなかったことを親にぶつけてみる、というワークがあります。

かなりの勇気とエネルギーを必要とする行動なので、親との対話というより、親との対決と表現されます。ところがそんな決意の末の行動の結果、そこから親との関係が劇的に改善された、生きるのが楽になったという方がいる一方で、「思ったような反応が得られなかった」「余計に関係が悪化した」という場合も少なくありません。

過去の囚われから解放され、前に進んでいくために覚悟を持って起こしたアクションで、なぜそんな差が出てしまうのか?
今まさに、親との対決の決意を固めつつある方や、期待より不安が大きい、意図が明確にならずに悩んでいるという方に是非この記事を参考にしていだきたいと思います。

 

話せばわかる、は幻想

親との対決がしばしば不調に終わるのは、単純なすれ違いが原因である場合が多いのです。それは、話し合う際のそもそもの両者の認識の違いです。

認識と言っても、子供は否定されたと感じていたが、親にそんなつもりはなかったというような内容以前の認識の問題があるのです。意外なことにそれは対話を対決と言い換える心の動きに既に現れています。それを説明するために簡単に議論の種類についてお話させてください。

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議論には、討論、議決、対話の3種類があります。

討論は先日クリントン候補とトランプ候補が公開で行ったような、賛成派反対派審判の3者が議論するもので、審判による結論が出されます。賛成派と反対派は徹底的に相手の主張を覆し、審判や聴衆はどちらが優勢かを判断します。
議決は、選挙や国会など多数決で一つの案を選ぶもので、これも結論があります。
最後の対話は、双方が互いの意見を理解するためのもので、討論のように相手を論破する目的ではないので、結論は出なくても良い。相手の意見を変えようとしてはいけない。しかし、自分の意見は変えても良い。
討論、議決、対話のルールから外れた議論は、エンドレスの「言い争い」となる。

さて、なんとなく内容以前の問題が浮き彫りになってきたのではないでしょうか?

クリアリングセッションで、親に思いをぶつけてみたけれども不調に終わったという方に、望む結果を得るためにはどうすれば良いと思いますか? と聞くと

・絶対的な証拠を突きつける
・自分の気持ちを理解してもらう(同じ気持ちを味わってもらう)
・過去を詫びて、今後は二度と同じことをしないと約束してもらう

などが出てきます。

つまり、子供から話があると持ちかけられた親が毒親であれば、「子供は支配できる」という認識でいるので議論という話し合いのルールなど全く考えていません。ところが子供はキチンと討論したい。しかし、ベースが違うためにエンドレスな言い争いで終わってしまう、という構図が見えてきます。話せばわかり合える、は幻想なのです。

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現時点で自分を理解しているとは思えない親に対して、話せばわかるという希望を持って臨むこと自体が過剰な期待であり、対話自体が成立しない可能性があると認識していれば、失望させられた時に受けるショックはずいぶん軽減することができます。

話してもわからないのなら、親との対決は無駄なのでしょうか?
対決をしないという選択肢ももちろんあります。けれども自分自身のためにも、今後の人間関係を構築する上でも、親との対決は大変に有効なプロセスなのです。
しかし、上記の議論のルールや、心構え、対決する目的を自分の中で明確にしておかなければ、エネルギーの無駄になるばかりか、かえって自尊心を傷つけられてしまう結果になりかねません。

では、具体的にどうすれば良いのでしょう?
それを次回にお話したいと思います。

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