聖職者

ガユーナ・セアロ(日本)

Gayuna Sundima Cealo

 

ガユーナ・セアロ プロフィール

本名:ガユーナ サンディマ /法名(ミャンマー):ウ サンディマ

得度以来、依頼や相談に応じて心の平安/自立/調和を促し、同時にミャンマー、カンボジアやスリランカの貧困層や孤児院等に対する布施(行)を続けるミャンマー上座部仏教の日本人僧侶。

特定の寺や地に常駐せず、求めに応じて日本、アメリカと途上国を旅し続け、心悩める人々、意識向上を目指す人々に対し、自愛の実践と心の平安、「人」としての自立と生き方などを相手の問いに答える形で伝え、同時に、こうした相談者からの御布施を主にアジア途上国の孤児院、学校、村等へ必要物品に換え、直接施すことを続けている。自己の内的成長の表現や実践を望んで奉仕参加する人が急増したため、「ひとりからひとりへ、心つながる国際協力」を活動指針に国際協力NPO法人が設立される(2003年)。
日本、アメリカを含め、平和活動のため継続訪問しているのは現在5カ国。
”慈悲の旅(Journey of Compassion)”を自らの道として歩み続ける。日本通称名「陽月院」には、セアロ自身の「与えられた自分の体がお寺」という認識がある。

出典:ガユーナ・セアロ 個人サイト

 

 

 

ガユーナ・セアロ インタビュー

この世の中に「可哀想な人」はいない

同情より愛情をかけなさい

 

今、自分の身の上に起こっていることのすべての原因は、自分の中にある種から巻き起こっている。その種が、自分の中の鏡に映し出されるから、自分にとってイヤだと感じることがわかるんだ。何かが起こっても、そのことが、自分がまったく知らないことだとしたら、「何それ?」と関心が持てないだろう。それがどういうものなのかを知っているから、腹が立ったり、喜んだりするわけだ。

 

この世の中に「可哀想な人」というのはいないんだ。同情するな。同じ情けにはなれない。でも、愛情はかけなさい。ないものは、ほんとうに必要だったら、自分でつくるだろう。それでも足りなかったら渡すのが人の愛情だ。私は福島に支援に行っているが「元気?」という言葉をかけにいっている。その言葉が一番力になる。

 

肉体は寺である。せっかくみんな自分の寺を持っているのに、自分自身を見るのを怖がっている。おぎゃあとうまれた時、環境や宗教、それぞれみんな違う。そこで、あなたの環境はこれですよと教えると、その通りの「比較の人生」になってしまう。世間のボーダーラインや格差社会で泣くことになるんだ。

出典 TRINITY WEB


ガユーナ・セアロ 「心の平安」「悟り」「瞑想」

【心の平安】

 

大切なのは本に書いてあることや、人の体験を真似ることではなく、

自らが自らの意思で体験することだ。

 

自らが決断し、自らが自分に与え体験するものであれば、そこに優劣はなく、

人と比べられるものは何もない。

 

ジャッジ(評価)や比較をするからおかしくなる。自分ではなくなる。

自分を証明する必要はない。証明することなどできない。自分が自分を味わい、

知ればそれで十分である。

 

理解させようとする必要も、理解される必要もない。

分からない者は分からないだけである。

 

理解されたところでそれは自分ではない。その人が思うことであり、あなたではない。

 

 

【悟り】

 

悟りは最終目的ではなく、悟った後どうするかが問題である。

 

その段階において自らが気づき、気づいたら行動に移し、それを続けることである。

 

生きていてよかった、私はこの私に生まれて幸せだ、と感じられることができれば、

それこそが悟りである。

 

 

【瞑想】

 

厳しくなければ修行でない、修行がなければ悟れないと信じている人が多い。

 

瞑想は厳しい修行でもなく、方法や段階も必要ない。

 

それが自分の道にたやすければ、使ってみるもいい。

ただし、とらわれることなく、必要がなくなればいつでも手放すことだ。

 

先生も教本も、必要がなくなれば感謝して卒業すればいい。

卒業することと感謝と尊敬がなくなることは違う。

 

瞑想は自分に帰るところである。自分が自分に戻るのに人のまねをしてもできない。

 

仏陀の真似をしても仏陀になれない。
(出典 Maxiのひとり言)

 

 

 

ガユーナ・セアロ 言葉

人間はね、人の利のために働くなんて、できないって。
みんなが喜びことを願って奉仕するのは、自分が嬉しいからだろ。

やはり、自分が愛している自分を幸せにしたいからだろ。
人に奉仕するのも人を愛するのも、愛したい自分がここにいるから、そうしたいと思うんだろ?

一番最初の利は自分じゃないかい?
生きているという自分が居るから、それができる自分は幸せだ、ということだろ。
その対象物があるから、その人のために、と言っているだけだろう?

寝たきりになっている人、明日食うのに困っている人、
私はそういう人がいる所へ行くけど、

その人のために、私が何かしたから偉いんではなく、

《している私は、私が好きだな》、と言っているだけで、

褒めてもらうためにするんだったら、

こんな大変なことはしませんよ、私は。暑いぞ、ビルマも。
出典 自分の神話の法則

ガユーナ・セアロ メッセージ

【メール・メッセージ-2001.9.25~10.15 「ミャンマーでのこと」】

 

ミャンマーでの出来事について、セアロからメッセージが寄せられました。

 

「ミャンマー政府は、アメリカにヤカインという場所を基地として使用することを許可し、各地のイスラム教徒が抗議をし始めたのでこういう結果になりました。また、パキスタンやバングラディッシュから難民が押し寄せる懸念がありますので、それも考慮し特に厳しくなりました。

しかし、一般海外旅行者に対しては、完全な安全を確保することを言っております。ただ、情勢はまだ未知なものでありますのではっきりしたことは分かりません。

ミャンマーのアメリカ大使館は、今閉鎖中で機能していません。いろんな憶測が飛び交い安全確保のために本国に帰国したようです。

この戦争は完全な宗教戦争に変わろうとしています。我々は宗教戦争というものをこの機会をなくす必要があります。

今回のアメリカのツアーにおいても、それを訴えていくつもりで居ますが、それに伴い、危険もあるかと思います。

でも、私は大丈夫。正しいことをして、正しい道を歩んで、もし危険に会えば私は神様に文句を言うでしょう(笑)。」

 

今回のミャンマーでの状況は、同行した通訳の日下さんが、次のようにレポートしてくれました。

 

「ヤンゴンへ向かったのはアメリカ人7名(男4名女3名)と日本人2名を含めた9名。出発前からアメリカ人1名が僧侶になることを希望していましたが、当日突然他の3名のアメリカ人も滞在中のみトライすることに決定。翌日、仏教修道士になるための儀式を半日かけてすませ、4名のアメリカ人僧侶が誕生しました。4名とも、お坊様になるためミャンマーへ来ることが約束されていたかのように、実に法衣がよくお似合いで頭の形も美しい方ばかりでした。

信仰心の非常に深いミャンマーではお坊様は尊敬され、どこへ行っても特別な待遇を受けることになります。ミャンマー人は白人のお坊様に一瞬の戸惑いをみせつつも、ミャンマーのお坊様と同じように跪き手を合わせて頭を下げていました。本当に戸惑っていたのはアメリカ人のお坊様方の方だったのかもしれません。

雨でぬかるんだ泥の上に座り、多くの人々が自分に向かって純粋な瞳で真剣に手を合わせる……青い瞳のお坊様方はどのように受け止められたのでしょう。4名は貧しい村や寺院、孤児院に活動的に奉仕されるセアロに付き添い、2週間の修行を収められました。

セアロが定期的に訪れていらっしゃる孤児院・寺院では、セアロの米・物品支援・寄付金により、子ども達の受け入れ人数を増やすことが出来たり、建物の増築が進めらたりしています。ほんの数ヶ月のうちに子ども達の数が倍近くに増えており、200~300名分の衣類や文具では全く不足状態。キャンディーとともに現れたセアロに喜ぶ子ども達の笑顔は私達に大きなエネルギーと幸せを与えてくれました。

その他の参加者、アメリカ人女性達も深い信仰心と愛と心の平安を子ども達や貧しい人々への奉仕活動に、瞑想に、そしてミャンマーという国や人々との交流に溢れさせていました。

一行はヤンゴン市内のセアロの寺院やチャイティオ、バガン、ジェンチャイ、などを訪れ、奉仕活動と聖地での瞑想など参加者全員一人一人様々な思いを抱かれたことでしょう。

実は、このたびのアメリカ人ミャンマー滞在には、セアロの奉仕活動のお手伝いと個々の精神性を高める修行目的だけではなく、もうひとつ大きな目的がありました。それは、現在世界中の人々を脅かしているアメリカのテロ事件、そして戦争に対する『祈り』です。

『犠牲者の冥福を祈り、世界の人々の心の平和と癒しへのエネルギーをみんなで高め、広げ、愛で包み込もう』というセアロの呼びかけで、ミャンマーの高僧を含め多くのお坊様や政府・軍関係者が集い、10月11日アメリカの方々と共に祈りのセレモニーを開催する運びになっていました。」

 

しかし、アフガンの事態が悪化したため、このセレモニーは、アメリカ人の安全を考慮し、祈りを捧げる会としてセアロと数名の高僧を含めた内輪で行われることとなったそうです。がともかく、形はどうであれ、参加者達は、一人一人の熱い思いと深い願いと愛のエネルギーを高めてひとつにし、アメリカへ帰って、セアロと共に癒しと瞑想のチャリティーイベントを全国で行い、愛と心の平和を広げていく決意を新たにしたとのことです。

「我々は宗教戦争というものをこの機会をなくす必要があります」という緊急の必要によってか、アメリカ入りされた、セアロとスタッフの方々の安全とご活躍を、こころからお祈り申し上げます。
出典 CEALO message from Myanmar & USA

 

 

 

 

ガユーナ・セアロ リトリート体験談

こちらのブログはほんと久しぶり~~!

1年半くらいほったらかしにしていて、自分でもびっくり

gooブログ 「オイスターマダムのひとりごと」の方は、結構更新してますけど

あちらに書けないことは、やっぱりこちらに書かないとね♪

 

 

4月の初めに、ガユーナ・セアロのリトリートにお手伝いに行ってきましためちゃめちゃ楽しかった~~~֥

 

山中湖の「セミカ」(セアロとアミカさんの両方が入っているような、ご縁のあるネーミング!)というペンションで、窓から富士山が見えるという絶好のロケーション、スタッフもみんな、やっぱりご縁のある方ばかりなのを感じて、もう愛おしくて愛おしくて֥みんなと一緒に働けた数日は、なんだか夢のように楽しかったな~

 

スタッフだったので、断食をせず、働くことに専念していたため、リトリートを十分味わうという感じではなかったけれど、いろいろな勉強ができました。

 

そういう体験をさせていただけることに感謝の気持ちでいっぱいです。

 

昨年11月の岡山でのリトリートがあまりに素晴らしかったので、今リトリートにハマってます(笑)

 

6月1、2、3日には、広島で、開催しますので、興味のある人は、ぜひぜひご参加くださいな。リトリートは、食べないと決めた分の食費を、アジアの孤児たちに還元できて、自分の心と体はクリアになるというスペシャルなプログラム。

 

セアロの講和を聞き、何度でも質問でき(無記名で紙に質問を書く形式)、繰り返し瞑想します。

 

リトリートの最初には自己紹介、最後には感想をみんなの前でいうのですが、そのとき、いつも最初と最後の参加者の顔があまりに違うのに感動します。

 

参加者の皆さんが心地よく過ごせるよう、スタッフ一同心を込めて準備させていただきますので、ぜひ体験してみてくださいね。

わたしの日常の小さな幸せ

 

 

ガユーナ・セアロ 名言

一人でも楽しい。

二人ならもっと楽しい。

これがパーフェクトだ。

 

女性は女神になればいい。

男性は神になればいい。

 

もっと自分を愛せ。

輝け。

自分を高めろ。

 

そうすれば高いところの

自分にあった相手が

向こうからやってくる。

 

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ソウルメイトを探している人、

師を探している人、

仲間を探している人

すべてに役立つ言葉ですね

 

 

こんな言葉もありました。

 

ヒーリングしている人も、

神の力を借りているだけだ。

偉くはない。

皆同じだ。

出典 スピリチュアルライフ研究所

 

 

 

平安に生きようとする者は、他のものに対し、苦も無く、楽も無く、ただ在るという存在だけで接する事ができる人である。また、活かされやすい人であるように生きることで在る。そして他の者に対しても、その者より苦も無く楽も無い接し方を行うべきである。平安に生きる時、その事だけを満足する。

 

 

幸せにしたいと思う人いれば、ずっとそう思いつづけなさい。己の為にそうしたいと思ってはいけない。

出典 セアロ情報サイト