超能力者

ユリ・ゲラー(イギリス)

Uri Geller 世界に知られる超能力者。1946年イスラエル生まれ。4歳の時、神秘的な体験をして超能力に目覚める。スプーン曲げなど、世界中で超能力を披露し、母国では自身が出演するTV番組の視聴率は50%を越える。
ユリ・ゲラー インタビュー
・2011年夏、世界のユリ・ゲラーが日本にやってきた。
「日本の皆さんにポジティブになってほしかったんです」
東日本大震災発生直後、すぐに自身の携帯でムービーを取り、日本へのメッセージをYouTubeにアップしたという。
「ニュースを聞いて本当に悲しかったんです。まずは被災された方々へ希望をあげたい。そしてBeStrong。自信を無くさないで、日本人が皆一緒になって大丈夫だと信じてほしい。大事なのは物事をポジティブに考えること。ポジティブパワーはエナジーであり、バイブレーションでもあります。ポジティブに考えることで、自分自身と周りの人も守られるのです」
出典 TRINITY40号

 

「今日は取材のための時間をあまり割けなくなった。すぐに インタビューを始めよう。はい、今から開始!」

ユリ・ゲラー氏の自宅に、予定していた時刻よりも15分ほど早く到着してしまった。居間で待機するようにと促した同氏の義弟が、「今からお茶を用意するから」と言い残してその場を立ち去ったと思ったら、Tシャツ姿のユリ・ゲラー氏本人が、入れ代わるように勢いよく登場してきて「すぐにインタビューを始めよう」である。暗い照明の中、ドライアイスの煙に包まれながら怪しげに登場してくるような感のある「超能力者」の第一声としては、かなり意表を突いている。むしろそうした特異な能力を持つ人々を演出する側である、テレビ局の制作スタッフの言動に相応しい。

そもそも、インタビュー取材の約束を取り付けるまでの手続きが驚くほど簡素だった。公式ウェブサイトに掲載されているアドレスにメールを送ると、ほどなくしてユリ・ゲラー氏本人から自宅の電話番号とともに「電話ください」と記されたメッセージを受信。早速その電話番号にかけたところ、義弟からすぐ本人につながり、数十秒ほど通話するだけで取材日が決定した。

同氏の語るところによれば、ウェブサイトを通じて1日に200 通以上のE メールに返信するという。携帯端末「ブラックベリー」の機能を駆使して、乗り物での移動中、食前・食後や就寝前など、とにかくちょっとでも空いている時間があれば、E メールを書く。「ユリ・ゲラーから返事が来た!とびっくりされる方がたくさんいるみたいです。本人ではなく、秘書が代わりにメールを書いているのではないかと疑う人もたくさんいます。でも違う。私がすべて文面を書いているのです」と、携帯電話の画面を見せてくれる。近付くと、彼が香水の匂いを漂わせていることに気付いた。

メールの大部分は、ユリ・ゲラー氏に対する悩み相談である。こうした問い合わせに対して、同氏は「ポジティブなイメージを描くことの大切さ」を説くのだという。先日も、ある男性から「私もあなたのようにスプーンを曲げられるようになりたい。どうしたらスプーン曲げが可能になるのか」と尋ねるメールが届いた。この男性に対してもやはり「ポジティブに思考することを覚えよ」と伝えたらしいのだが、驚いたのは、彼がさらに加えて「スプーン曲げなんて忘れろ」と諭した、と言ったことだ。そして「超能力を手に入れようなんて思うな。それよりも、人生の目標を設定しなさい。お酒を控えなさい。常に成功をイメージせよ」と叱咤激励したというのである。

スプーン曲げといえば、いわば彼の代名詞だろう。それを「忘れろ」だなんて、彼はもう、超能力者ではなくなってしまったのか。

ユリ・ゲラー氏の人気が日本で沸騰するきっかけとなったのは、1974年に日本テレビ系列で放送された「矢追純一の木曜スペシャル」を始めとするテレビ番組への出演だった。同番組は26.1%という高視聴率を叩き出し、各地の学校では、給食の時間に生徒たちがスプーンを力づくで曲げるいたずらが流行したという。その彼が、35年の時を経て、ロンドン郊外の邸宅で「スプーン曲げなど忘れろ」と言っている。

現在62 歳になった「超能力者」には、スプーン曲げ以外にもあまりに多くの成すべきことがあるのだ。1999年には、「エラ/孵化(ふか)する少女」なるサイコ・サスペンスを執筆。企業を相手とした講演活動に加えて、日本に生産ラインを持つという宝石のデザインも手掛けている。また英国においては、ITV系列で2002年に放映された実験ドキュメンタリー「I’m a Celebrity……Get Me Out Of Here!」の第1回シリーズに出演した。最近では、次世代の超能力者を発掘するテレビ番組フォーマットを考案し、自らその各国版に出演するためドイツ、オランダ、ハンガリーなど世界中を飛び回っている。

一方で、彼自身が「超能力」を披露する機会は減少しているように思える。
2007年には、ドイツで発行されている魔法・魔術の専門誌「マーギッシュ・ベルト」とのインタビューにおいて、「超能力を使うなんてもう言わない」と発言したとして、「ユリ・ゲラー、ついに『超能力』を撤回か」と報じられた。これに対して本人は、2008年に同じくドイツのリベラルなオンライン・マガジン「テレポリス」の取材を受けて、「『もう超能力を操ると喧伝しない』とは言ったけれど、超能力を私が持たないという意味ではない」との反論を展開している。

この件について真意を正すため、愚直にも改めて「あなたは超能力者なのですか」と尋ねてみた。すると返ってきた答えが、「もう『超能力者』とは名乗らない。私は現在、『神秘を与える者』となったのです」。狐につままれた感じ、という言い回しは、こういうときの気持ちを表現するためにあるのだろう。あるいは、聞く者を当惑させるこうした発言も、「超能力」の成せる業なのかもしれない。

出典 ニュースダイジェスト

ユリ・ゲラー 経歴

ハンガリー系ユダヤ人の移民の家庭に生まれる。

父はイツハク・ゲラー、母はマンジー・フロイト。
精神分析学の祖ジークムント・フロイトの親類である。両親の離婚と母親の再婚に伴って、キプロスのニコシアに転居。そこでカトリックの高校に通い英語を習得する。

1964年にイスラエル陸軍に入隊するが、1967年の六日戦争で軽傷を負って除隊。その後ファッションモデルやキャンプ・カウンセラーなどの職を点々とする(モサッドで様々なスパイに関する技術を学んだ、という説もあり)。

そのキャンプでシンプソン・シュトラング(通称シピ)という少年と知り合ったユリは、奇術の共同研究を始め、友人のパーティーやナイトクラブでの超能力ショーを始めるようになる。
だが、そこでの奇術(テレパシー術)があまりに稚拙であったため、ナイトクラブの支配人らから訴えられ、裁判で「今後、イスラエル国内で超能力を冠したショーを行ってはならない」との処分が下される。また同じ頃、女優のソフィア・ローレンと一緒に写っている合成写真を発表し、世間から激しく非難された。

1972年、アメリカの超心理学者アンドリア・プハリッチ(プハーリック)が、どん底だったユリとシピを救うことになる。プハリッチはユリを本物の超能力者であるとしてアメリカに招聘した(シピも同行した)。

ちなみにプハリッチの著書『超能力者ユリ・ゲラー』(Uri. 二見書房)によれば、プハリッチとユリのふたりは何兆光年も離れた惑星フーバの宇宙船からコンピューターで操作されているそうである。

1972年12月12日から、カリフォルニア州のスタンフォード研究所で彼の超能力テストが行われた。 初歩的な予備試験では一見するとテレパシーや透視に見えるような結果を残したが、より厳密なテストが行われるのを待たず、勝手に終了を宣言して退去してしまった。

また1973年からアメリカやイギリスのテレビ番組に登場するようになるが、ベテランの奇術師であるジェームス・ランディが同席する席で彼の超能力が発揮されることはなかった。

1974年を皮切りに、公式・非公式に何度か来日。当時の人気番組「11PM」や「木曜スペシャル」(日本テレビ)に登場。スプーン曲げやテレビの画面を通じて念力を送ることで止まっていた時計を動かすといったパフォーマンスで日本での超能力ブームの火付け役となった。

1980年代後半以降、特に日本テレビの番組などでユリやその能力を取り上げることを度々行ってきたが、その際にユリ自身は、「FBI捜査やCIAの秘密ミッションに携わっていた」「アメリカで広大な土地付きの豪邸に住んでいられるのは、自身の超能力で油田を探り当てたから」などと語っていた。

1991年から1995年にかけて、ゲラー批判を続けていた「サイコップ」に対して、エルドン・バードと共に訴訟を起こす。1995年3月に和解が成立し、ゲラーは「軽薄な告発」の賠償としてサイコップに対し12万ドルの賠償金を支払った。

2000年、ゲーム「ポケットモンスター」のポケモン「ユンゲラー」に自分のイメージを盗用されたとして、任天堂を相手取り6000万ポンド(約101億円)の損害賠償を求める裁判をロサンゼルスの連邦地裁に起こした。ポケットモンスターに関する様々な逆風にも一部記述がある。

2002年 イギリスのジャーナリストマーティン・バシールをマイケル・ジャクソンに紹介した。この時バシールらが製作した番組マイケル・ジャクソンの真実が後にマイケル・ジャクソン裁判に発展。
ユリはバシール側よりマイケル・ジャクソンを紹介した謝礼として数千万円(20万$と言われている)の謝礼を受けとっており非難を浴びた。
また、マイケル・ジャクソンと疎遠になっている。
バシールの番組放映後、マイケルと疎遠だった事は本人も認め、バシールを紹介した事を悔やんでいると語っているが、マイケル・ジャクソンとの交流は復活しないままマイケルは永眠した。

2006年日産自動車のCMに出演。CMではコンピュータグラフィックスによる合成ではあるが「スプーン曲げ」や「時計動かし」を行った。

2011年 日本に緊急来日し、森田一義アワー 笑っていいとも!に出演した。

2012年4月29日放送のフジテレビ系バラエティ番組ほこ×たてにて「絶対に曲がらないスプーンvs絶対曲げる男ユリ・ゲラー」として山崎金属工業のスプーンコブラと対決。 結果は最強スプーンコブラの勝利となり、ユリ・ゲラーが曲げられなかった唯一のスプーンとなった。

出典 BIGLOBE百科事典

 

ユリ・ゲラー 著名人の反応

●中山千夏氏
「学者がこれを研究しようと思っても、磁力を物さしではかるのと同じじゃないかしら」
●柴田錬三郎氏
「オレは宮本武蔵を超能力者だと思っとる。Sクンがスプーンを投げた瞬間、オレはそこに殺気を見たね」

──『週刊プレイボーイ』4月16日号

●星新一氏(SF作家)
「オカルト全部を信用するわけにはいかないのですが、スプーンを曲げる男は信じましょう。とにかく、こういう世の中になると、面白くてしようがないですナ。次に何が出てくるか、楽しみですヨ、ええ……」

──『いんなあとりっぷ』7月号

●小松左京氏(SF作家)
「スプーン5本を投げ、一瞬にして前後左右、W状に曲げる現象をはじめ、手品でもトリックでもない、どうにも説明できない現象を次々に起こされ、呆然とした。さらにその時同席した友人1人が同じような能力を持ち、その後もう1人の友人の子息とSF仲間の子息の1人が、同じような能力を発揮しはじめた」

──『週刊朝日』4月26日号

●小松左京氏< /b>
「解明するには、我々の知っている物理エネルギー以外の、未知の場をファクトとして認めて、真剣に取り組むべきだと思いますね」
●加藤秀俊氏(社会学者)
「日本の科学界は独善的だからね。こういうことを認めさせるのは難かしいだろうな」

──『週刊プレイボーイ』4月9日号

●大谷宗司教授(防衛大・心理学)
「超能力は、ブームとしてではなく、もっと慎重に研究の対象として考えられなければなりません。超心理学は、宇宙の神秘とともに、人間に残された最後の謎ですからね」

──『週刊大衆』3月28日号

●江崎玲於奈博士(ノーベル物理学賞受賞者)
「私自身が、この現象を解明しようとしても、多分できないでしょう。これは、私にとってこの種の研究が専門外だからという理由でしかありません。でも、私自身、非常に興味深くこれらのデータを見たし、こんなことが現実にあるんだという事実をあらためて認識しました。これを簡単に無視してしまう科学者のやり方には問題があると考えます」

──『週刊プレイボーイ』4月23日号

●猪股修二博士(国立電子技術総合研究所主任研究官)
「『事実』として認めなければならなくなったことを、率直に告白する。自分でやってみたら、フォークが曲がってしまったのである。このことを『事実』でないとすることは、科学者の良心に反する」

──『週刊読売』5月4日号

●糸川英夫氏(組織工学研究所長)
「科学者たちが、“超能力”の研究をしないことを非難するのは酷だ。
この研究をするためには、莫大な費用と時間がかかるでしょう。いま科学者たちは、公的機関なり民間機関なりに属して、それぞれの研究をしているわけで、その片手間にちょいと超能力の研究をするというわけにはいかないのです」

──『週刊プレイボーイ』5月28日号

出典 ユリ・ゲラーマスコミ論争史

 

・Thu, April 18, 2013 07:38:17

テーマ:ユリ・ゲラー
先日、「深イイ話・・都市伝説」収録時、時間切れで言えなかった話。昨年から読んでくれている人は覚えているかも。

 

昨年夏、ユリ・ゲラーから電話があり、ニューオータニで久しぶりに再会した。

色々な話をしている中、「噂で聞いたけど、ジョン・レノンが生前宇宙人からもらった、金属物体を持っているってホント?」と聞いてみた。

するとあっさり、「Sure!」見せてあげるといい、ネジャーのシッピが部屋に取りに行き、大事そうに両手で持って来た。

その物体は鈍く金色に光り、大きめの卵か小茄子の様な形でズシリと重い金属だった。

それを持ったシッピもユリも、そこにいた関係者もみんな腕の毛が逆立っていた。

僕も持たせてもらったけど、何か発信しているような不思議な金属物体だった。

「調べてもらったけど、地球のものではない」とユリは得意げ。

彼はこれをお守りに全世界持ち歩いていると言う。

ジョン・レノンだけでなく、著名人で知的生命体と遭遇している人は、あなたの想像以上に多い。

出典 矢追純一オフィシャルブログ

 

ユリ・ゲラーとマイケル・ジャクソン

ユリ ゲラーはマイケルの人生の最後の数年間を揺さぶった、児童性的虐待容疑は潔白だったかどうか探り出すために彼を催眠状態にしてインタビューしました。
1990年代から友人であるスプーン曲げのパフォーマー、ゲラーは彼の食習慣を改善を手伝うためにトランス状態にさせる提案をしました。
しかし、ゲラーはその機会を利用して、内緒でジョーディ チャンドラー、1993年に性的虐待でマイケルを告訴した少年の件を調査しました。
チャンドラーは示談でマイケルから数百万ドルを受け取りました。
ゲラーは、支払いはマイケルが罪を認めたことを意味するのかどうか、徹底的に調査しようと決心しました。
彼は「マイケルは突然私に言った、『君が持っているマインドパワーを私に送れるかい? 私はそれを感じられるかい? 私が食べられるものがなにかある? ジャンクフードは食べたくないんだ。私を健康にできるかい?』」
「それで、私は彼に言った。『催眠術をかけることを許してもらえる?』 すると、彼は『いいとも!すばらしい!本当に私に催眠術にかけられるの?』と答えた。」
「だから、私は彼をトランス状態にして、催眠状態の彼と向き合った。」
「マイケル、君は不適切なやり方で子供に触ったことがあるかい?」と聞くと、マイケルは即座に答えたよ。 『いや、そんなことはしたことがない。』とね。」
「それで、私は尋ねた。『どうして、ジョーディ チャンドラーにお金を払ったんだ?』 すると、彼は『私はたくさん持っていたからね。もうこれ以上、耐えられなかった。』と答えた。」
「私は彼をトランスから覚ましたが、彼はこのことを知らなかった。しかし、これは私にとって、このかわいそうな男は潔白だという確証になったよ。」
マイケルは2003年にも13才もギャビン アルヴィゾに性的虐待で告訴されましたが、2005年の裁判ですべての疑いが晴れました。


出典 ねこひげエンタメサロン