「言わなくてもわかるでしょ?」ココロセラピストが語る!「わかってたまるか!」の話

「以心伝心」は当然のこと? 空気が読めない人というのは、得てして厄介ではありますが、 空気が読めないという事が悪人であるという事ではありません……

「以心伝心」は当然のこと?

日本人は「以心伝心」が出来てあたり前だと思いがちです。
確かに、何も言わずして心と心が通じ合えたらとても素晴らしいと思います。
しかしながら、現代では「以心伝心」以前の問題として空気の読めない人たちが増えて来ている気がします。

 

空気が読めない人というのは、得てして厄介ではありますが、
空気が読めないという事が悪人であるという事ではありません。
当事者たちも、もしかしたら意思疎通ができない事で頭を抱えていたり傷ついているかもしれません。

 

では「以心伝心」や「空気を読む」とは、そもそも何なのでしょうか。
解釈は色々あると思います。トンデモっぽく言えばテレパシーかもしれません。
言語以外の何か、それこそ「気」を感じて状況を把握することかもしれません。
確かに、そういう解釈もあると思うのですが、少なくとも今の時代では、
その手の解釈はまだ主流ではないので、
単純に「コミュニケーション」と解釈して考えて行こうと思います。

 

相手の気持ちを理解する事は、とても大切な事です。
相手の心を知ろうとせずに意思疎通はできません。
ただ「以心伝心」という考え方の裏には微妙なニュアンスも含まれている気がします。
「以心伝心」というのは、言わずして相手の言わんとしている事を理解する事です。
もし相手との付き合いが長く、相手の思考や行動パターンを熟知していれば、
相手の考えや気持ちを瞬時に予測する事は大切です。
「察してくれよ」という甘えも裏に隠れている場合もあります。
つまり自分優位に動くように暗にコントロールしようとしていると言えなくもありません。

 

「言わなくてもわかるでしょ?」と言われても、わかりたくないこともある!

よく「そのくらい、言わなくてもわかるでしょ?」的な方がいますが、
よくよく考えるととても奇妙です。
そんなに伝える事が難しいのでなければ、
それこそ簡潔に言葉にして示してくれても良さそうではないかと思いませんか。
「言わなくてもわかるでしょ?」の裏には「言わせるな」
あるいは「言いたくない」という心理がチラホラ見え隠れしている場合があります。
時には言葉に出来ない事も確かにありますし、わざわざ言語化する必要が無い事もありますが、
「言わなくてもわかるでしょ?」という言葉を発せざるを得ないほどの時は、
言わないとわからないと思ってくれた方がありがたいです。

 

たとえば、道端で顔の怖い二人組のオジサンにぶつかったとします。
慌てて、あなたは「すみません!大丈夫ですか?」と相手を心配して声をかます。
一方ぶつかった相手は「アニキ~っ!痛い!痛いよぉ~!」と
もう一人の怖いオジサンに救いを求めるように泣きつきます。
すると、そのオジサンは
「可哀想に。おい!そこのあんた!どうしてくれるんだ?コイツはこんなに痛がってるぞ。骨折してるかもしれないよなぁ。こんなに痛がってたんじゃ、仕事にも行けないよなぁ…。どうしてくれるんだよ」と言って来ます。
そして、こう続けるのです。「言わなくてもわかるよな?」と。

 

これは俗に言う強迫です。
以心伝心でも意思疎通でも無く、相手はとぼけていますが、
意図的に相手にメッセージを投げかけているのです。「お金を出せ」と。
しかし、ここで賃金を無理矢理要求すると恐喝罪になってしまうので、
あくまでも、自発的に賃金を提供していたという事実を創りだす必要性があるのです。

 

実際に本当に骨折している必要は当然ありません。
本当は痛くもかゆくもないかもしれません。
ただ、自発的に相手に「この人にぶつかってしまった事で、自分は相手に迷惑をかけてしまった」と
思う図式を創りだしたいのです。

 

もちろん、ぶつかって怖いオジサンに睨みつけられて低い声で
「言わなくてもわかるだろ?」と言われたら、それが恐喝だということは瞬時にわかります。
どんなに鈍い人でも空気を読めると思います。

 

実際に、こういう場面に出くわしたら空気を読んで黙ってお金を支払ってしまったら負けです。
殴られるよりは、お金を取られるだけの方がマシと思うかもしれませんが、
こちらが空気を読んで「察してしまうタイプ」だとわかったら、
今度は個人情報を聞かれ、定期的に、そして自発的にお金を支払わなければならなくなってしまうリスクも高いです。

 

難しい状況ではありますが、可能であれば逃げる。
もしくは、携帯電話かスマホを持っていれば「自分の判断では対処できないので警察と救急車を呼びます」と言って、即座に通報するのが良いかもしれません。通報さえしてしまえば、相手はきっと逃げて行くと思います。

 

「空気が読めない」フリをするのもアリ?

「察しろ」という暗黙の脅しに屈してはなりません。
今の例えは物騒でしたが、仕事でも同じ事です。
契約外の仕事を押しつけられたり、サービス残業せず帰れない空気が充満している場合も同じです。
察して「屈した」ら、不本意な事も自分の意思で決断したと思われてしまいます。
状況にもよりますが、場合によってはわざと空気が読めないフリをしてとぼけるのも有効かもしれません。

 

いずれにしても、暗黙の強迫をされた時は、屈しなかったとしても、必ずしも逃げ切れるとは限りません。
後々何をされるかもわかりません。
もしかしたら空気を読んで屈してしまった方がリスクは小さいかもしれません。
しかし、どんなに理不尽な事があっても、リスクを最小限にして自分にとって最適な判断を下そうとする心構えだけは忘れない方が良いです。

 

結局コミュニケーションってどうすればいいの?

空気が読めすぎてしまうからこそ、相手の裏が見え過ぎて、時に精神が摩耗してしまうという事もあると思います。優しければ優しい程、相手の誘導に騙されたり利用されてしまう事もあると思います。

 

世間的には「空気が読めない」というのはマイナスイメージですが、身を守る手段として空気が読めないフリをするスキルも大事なのかなと思える時代になってきた気がします。
ネガティヴな話が続きましたが、今更感はありますが、これは「察する事」が悪いという話ではありません。「察して屈しろ」的な強迫にはくれぐれも負けないで欲しいと言いたかったのです。

 

そして「以心伝心」然り、「察する事」は、本来ならば、みんなが善意の人たちである事が前提です。
人の辛さや悲しみにいち早く気づき、そっと手を差し伸べる。
これこそがコミュニケーションの極意だと思います。
この精神を持ちながらも、裏のある人の暗黙の強迫からは、それこそ上手に空気を読んで賢く逃げて下さい。

 

大切なのは、自分の心身を守りつつ、大切な関わる人たちを思い遣る気持ちです。

察する、察しないという事も大切ですが、それ以上に率先して自発的に小さな善意を日頃から配り続ける。

これが習慣づいたころには、お互いに気持ちが通じ合う、本当の「以心伝心」の関係になれるかもしれません。