ホーキング博士の難病を悲劇だと誰が決めるのか?
宇宙の秩序の下に生きるとは!?
『博士と彼女のセオリー』(後編)

“悲劇”を決める観念、“完璧”を決める観念、“感情”という観念まで揺さぶられる!
ホーキング博士の難病を悲劇だと誰が決めるのか?<br>宇宙の秩序の下に生きるとは!?<br>『博士と彼女のセオリー』(後編)

私たちは悲劇に対して
“感情”を新たな視点で考え直すことができるのか!?

 

映画の中でスティーヴンは、とても”ニュートラル”に描かれています。

苦悩する気難しい学者でもなければ、達観した聖者のようにも振る舞わず、ただひたすらに粛々と状況に順応しようと勤める、ピュアな生命体、という印象です。

それが、より生々しい人間ドラマを予期していた私には妙な非現実さを感じさせ、この映画の意図を読み解く事に、少なからず混乱を覚えてしまったのです。

しかし物語が進むにつれて私の心は、もしかしたらこの映画が伝えようとしている、いえ、ホーキング博士そのものの存在が、人類に伝えようとしているのかもしれないメッセージに、震え始めました。

ホーキング博士の患った、筋萎縮性側索硬化症は、果たして本当に、「悲劇」なのか。誰がそれを、「悲劇」と決めたのか。

映画の中に、スティーヴンが病名を告げられた時、脳の働きに影響はあるのかと医師に尋ね、「いや、意識は死ぬまではっきりしているし、考える力は衰えない」と聞き、ホッとする、というシーンがあります。

あの瞬間に全てが集約されていたと、私は映画を観終えた後に、感じ入りました。

科学者であり、脳を使って自分のミッションを生きる彼にとって脳は全てなのです。

脳さえ機能していれば、彼は100%、彼が与えられた天性の役割を、生き続けることが出来るのです。

さて、それでは脳の機能を奪わない彼の疾患は、果たして彼にとって、悲劇なのでしょうか。

映画を観る限り、彼の病は、全く彼の邪魔をしません。

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もしも彼が難病を気に病んで絶望し続けたとしたら、病は悲劇に成り代わっていたでしょう。けれど彼はその感情的な道を、選ばなかったのです。

私たちは、感情、というものを新たな視点で考え直さねばならないのではないでしょうか。

人間社会では常に優先されがちな、”感情”、というシロモノについて。

何かに深く感じ入ったり、美しい物に感動したり、誰かに愛情を感じたりという、そうした自然に涌き起こるセンセーションは、素晴らしい物だと私は思います。悲しみや怒りや悔しさだって、それは豊かに反応する心の、如いては生命力の溌剌とした流動であり、ないがしろにされるべきものではないと思います。

しかし時に人は、あまりに観念的な理想やイメージ、偏向した信念やアイデンティティに捕われ固執するあまり、余分な感情的苦しみを、自ら作り出してはいないでしょうか。

映画の中で、「ぼくたちは完璧な家族だ。」と語るホーキング博士に、介護に疲れ果てていた妻が悲しみで苛立ちながら「いいえ。違う。」と訴えるシーンがあります。

彼女はなにをもってして、今彼女に開かれている現実そのものを、真っ向から「完璧ではない」と判断したのでしょうか。

もちろん、長くスティーヴンを支え続けてきた妻ジェーンはとても立派で素晴らしい女性だと思います。

しかし健康な体を持っていたスティーヴン、その彼との時間を知っていたことが、彼女の心の弱点となってしまっていた可能性は無いでしょうか。

彼女にとって完璧だった彼との過去の記憶が、スティーヴンが「僕たちは完璧だ」と告げたあの瞬間の状況の完璧さに気付く心に、フィルターをかけてしまっていたのではないでしょうか。

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やがて博士の元に、博士の豊かなユーモアのセンスや愛情深い人柄に深い感銘を受け、尊敬と恋心を抱く女性が現れます。

彼女は車椅子の中にうずくまる動けない博士に、完璧を見たのです。

宇宙、という理の中にある、潜在的秩序。

その秩序は、既に多くの概念的な理想や物差しや偏見に汚染された人類にとって、必ずしもハッピーな形としては現れないのかもしれません。

しかし、それは果たして悲劇なのでしょうか。本当に?

博士を襲った筋萎縮性側索硬化症を、真っ向から「悲劇」と決めつけて映画を観始めた私の心は、映画を見終えた時、宇宙の秩序の下に生きる命、という私達地球生命体のシンプルな原点に、完全に開かれていました。

そしてそんな私の目に映る、車椅子の中に沈むホーキング博士の姿は、彼のミッションを生きる上で最適な進化を呼び込んだ、真の意味での純然たる健康な命として、屈託なく完璧でした。

私の中にあった「悲劇」という概念はもはや浅はかなメロドラマでしかなく、今はただ、この果てしない宇宙で粛々と、地球惑星生命体“ヒト”としての命を生きるという、シンプルで美しい現実への深い感銘と喜びだけに満たされています。

その段階に来てようやく私は、ホーキング博士の幸福感が、「やせ我慢」や「きれい事」などでは決して無いのだと、知る事が出来ました。彼は心から、自分の人生が完璧であることを知っていて、そして本当に、真に幸福なのです。

この映画は、宇宙の起源を紐解く科学者ホーキング博士の人生を描きながら、人類の、生物としての心の起源の深淵さへと人を立ち還らせる、とてつもない力を持っています。

21才の時に余命2年と告げられたスティーヴン・ホーキング博士は、73才の今も、元気で活動を続けておられます。

博士と彼女のセオリー  大竹 イラスト

イラスト/大竹サラ

 

■『博士と彼女のセオリー』

■(c)UNIVERSAL PICTURES 

■3月13日(金)TOHOシネマズ シャンテ他全国ロードショー

■配給/東宝東和