エンジェル・セラピスト®夫婦のスピリチュアル子育てPART.63~子育ての負い目を夫婦で共有する(潤治編)

完璧などない子育てなのに、完璧主義者故、頑張りすぎた結果、相手を追い込んでしまう……
エンジェル・セラピスト®夫婦のスピリチュアル子育てPART.63~子育ての負い目を夫婦で共有する(潤治編)

自分の意志を持ち、しっかりと「嫌!」と口にする娘の小葉を見守る日々です。

イヤイヤ期というものなのか、とりあえず何にでも「嫌!」という娘に「NOと言える娘」だなぁと彼女の言動に困りながらも感慨深く思います。

理想の父親像、母親像のようなものを子育てしていると感じます。

父親像を目指しすぎて、自分ではない誰かになろうと思う時があります。

 

ある晩、寛子とふたりで小葉の子育てについて話している時のこと。

お互いに疲労を感じながらも、新しい仕事の企画や依頼が増え、やりたいことが湧いてくるので「できていない自分たち」を思って、少しセンシティブになっていたのでしょう。

寛子が「わたしじゃないほうが、もっと良いママになれるのにね。」と言い出しました。

僕もそれを受けて、「僕も同じことを考えていたよ。」と応えました。

僕の「同じこと」とは、「僕ではなく、寛子がパパのほうがもっと良いパパでいられるのにね。」ということです。

お互いに自分にダメ出しをして、厳しい批判家です。

理想を追い求める完璧主義は自分に対して負い目を永遠に発生し続けてしまいます。

TrinityWeb スピリチュアル子育て 第63回 潤治編 画像2   20150212

先日の記事「エンジェル・セラピスト®夫婦のスピリチュアル子育てPART.61~妻を襲う孤独に誰が寄り添うのか(潤治編)」

でも書きましたが、子育ての中の完璧主義は常に負い目と向き合うことになります。

完璧などは無いのに追い求めると「できない自分」に目が向くからです。

その負い目をパートナーと共有することなく、自分だけで消化しようと頑張れば、頑張るほど孤独になっていきます。

そして、お互いにその孤独感を抱えたまま、父親であろうと、母親であろうとすると家族の調和が表面上はうまくいっていそうでも、お互いの溝は深くなっていくように思います。

特に独りよがりの「頑張り」は残念なことに相手を追い詰めてしまうこともあります。

さらなる負い目を相手に感じさせてしまうかもしれないからです。

相手の精神状態によっては、自分自身の頑張りが相手からするとプレッシャーや「責められている」と感じるかもしれません。

相手のために「頑張っている」と言いながら、相手を追い詰めているなんて悲しいことです。

僕は寛子をサポートしようと頑張ることがあります。

仕事と家事を両立させながら、自分をストイックに追い込んでいくことも可能です。

ある意味、チキンレースや我慢大会に相手を引きずり込むような危険性もあります。

そこには、求道者のような危うい幸福感があるのですが、この幸福感は人を追い込んでしまうことがあると寛子と暮らしていて思います。

僕が仕事をしながら、家事を完璧にこなしていくことで、彼女に「あなたはダメな人、僕がいなければ何もできない人」というメッセージを送ってしまっていたのです。

そんなつもりはない…と弁護したい自分もいますが、追い込まれた寛子を見ていると僕はそのメッセージを発していたのです。

パートナーをどのような姿にするかは自分次第ということですね。

それを相手の責任にして、責めたい自分も当然います。

弁解、自己弁護、弁明したい気持ちはむくむくと湧き起こってきます。

それを自分の責任であると受け容れられる強さを僕も身につけて過ごしたいと思います。

「相手のために頑張るという言動が、いつの間にか相手を追い込むものになっている可能性がある。」

それは実は「相手のため」ではなく、「自分のため」だからでしょうか。

シャドー(影)は僕に語りかけます。

「いかに自分が有能かを知らしめたいんだよな? おまえとは違うんだと、やんわりと首を絞めたいわけだ?」

「ジキル博士とハイド氏」のような精神構造にややもすれば陥る可能性があります。

できるだけ、僕の心にいるジキル博士とハイド氏を仲良くさせるために、自分のシャドー(影)を受け容れていきたいと思います。

もし、夫婦がお互いにその人格に近づけば、相手に虚無感を感じさせなかったかもしれないからです。子どもをきっかけにお互いに観ることはなかった虚無感を感じられたのは貴重な機会とも言えますが。

完璧主義な僕たちふたりはお互いにそう思います。

家族に必要なものは、「お互いに頑張りたい理由を伝えること」です。

それは相手を愛したいと同義かもしれません。

いつの間にか、僕は「父親であろうとすること」を自分に、

そして、「母親であること」を寛子に要求してしまっていたのです。

自分自身であることを大切にするために、僕自身が「嫌!」と思うことを大切にしたいと、娘のイヤイヤ期に思います。それが家族の調和をもたらすような気がしています。