「擬宝珠(ぎぼし)」というものをご存じでしょうか? 名前を聞いたことはなくても、冒頭に掲載している写真を見れば、どこかで見たことがある、という方が大半だと思います。
橋の欄干などに取り付けられているのが一般的ですが、他にも神社やお寺の柱に取り付けられたり、屋台の飾りなどにもなっている擬宝珠。なぜ、このようなものが取り付けられているのか? その理由として、様々な説が存在しています。
もっとも有力な説は「宝珠(ほうじゅ)」の霊験にあやかるために作られたというもの。宝珠というのは、「如意宝珠(にょいほうじゅ)」などとも呼ばれ、仏教において、その名の通り「思いのままに様々な願いを叶えてくれる宝の玉」だとされています。
宝珠は仏様やその教えの象徴であり、
無限の可能性が秘められている
その宝珠に祈りを捧げることで、現世利益を分け与えて貰えるというわけです。
この宝珠を模して作られたので「擬宝珠」というのは、確かに納得できます。寺院に取り付けているのも、仏様の加護を得るためと考えたら当然といえるでしょう。その一方で、神社や橋、屋台などにも使われるというのはちょっと違和感を覚えます。
もともと日本には神仏習合だった時代があり、仏教が神道よりも力をもっていたことも多かったので、そういった時代の名残という考え方もできますが、仏教とは関係なく、宝珠の形自体にパワーがあり、日本だけで無く、世界的に不変のものだという説もあります。
たとえば、古事記で伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉の国において、伊弉冉尊(いざなみのみこと)から逃れるために、桃を投げるのですが、桃と宝珠が似た形をしているのは偶然ではなく、古事記の時代からこの形には霊力があると信じられていたというのです。
このように考えてみると、宗派を問わずに建物の護りとして、強い霊力をもった擬宝珠が使われているのは当然なのかもしれません。
さらに、ちょっと面白い由来としては擬宝珠がネギの花の形をしていることから、ネギが持つ匂いが魔除けになるとして、このような形になったというものもあります。
さまざまな由来はあるのですが、擬宝珠や宝珠の形自体にエネルギーを集める力があるというのは間違いがないようです。古代から伝わる叡智というのは、以外と身近に潜んでて、これからもずっと受け継がれていくものなのでしょう。