源氏物語第三段 命婦帰参
命婦は、「まだ篭っておられるのですね」と、帝に同情していました。
帝は、中庭のたいへん情緒ある植え込みをご覧になり、密かに篭って四、五人の心憎い限りの美しい女房を仕えさせておられました。
この時期、帝は、亭子院が描かれた、玄宗皇帝と楊貴妃の長恨歌の絵をご覧になっていました。
伊勢や貫之に読ませた大和詞や唐土の筋書きを、口癖としていらっしゃいました。
帝は、こと細かに北の方の様子を聞かれておいでで、命婦は、同情すること密かに奏上しました。
北の方からの返事の文をご覧になりました。
「いただきものは恐れ多いもので、置き場所もございません。
このような仰せ言につけても、悲しみに暮れ心乱れているのでございます」
「荒き風ふせぎし蔭の枯れしより小萩がうへぞ静心なき」
(荒れた風評でふせっていた桐壷はもういませんし、私も歳ですから、若宮が後宮に行くことを考えると心静まることがございません)
このような乱れのある言葉が書かれてある文を、帝は、心が落ち着いていなかったのだろうとご覧になりながら、許されました。
帝は、とても心中を人には見せられぬと、お気持ちを静めておられましたが、ついにたえることができなくなってしまわれました。
桐壷との出会い初めからの年月のことをかき集めては、数多く思い出されたのです。
「時間もおぼつかなかったものであるが、こうしたままでも月日は経っている」と、帝は、今までのことは浅はかであったと、思い召されました。
「桐壺の父大納言の遺言に反することなく、北の方が娘の宮仕えをよくやった本意に報いるには、桐壺をそれなりの地位につかせることだと思っていた。しかし、亡くなってからでは言う甲斐なしであった」と、帝はおっしゃって、北の方をたいへん気の毒にお思いになりました。
「こうしたままでも、偶然にも若宮が生まれたからには、しかるべき地位に置くこともできる。長生きしてそのように思い念じてもらいたい」など述べられました。
帝は、北の方からの贈り物をご覧になりました。
「これが亡き人の居所を尋ねて出た証の釵(さい)であったならば良いのだが」と、唐の話を持ちだしては桐壷を思われていました。現実にはどうすることもできません。
「尋ねゆく幻もがなつてにても魂のありかをそこと知るべく」
(人づてに尋ねゆく幻があれば、魂のありかを知ることができるのだろう)
絵に描かれた楊貴妃の姿は、立派な絵師といえども、筆にも限りがあって、とても美貌や香りをあらわすことは難しいでしょう。
楊貴妃は、太液の芙蓉、未央宮の柳という句にあるような美貌で、唐の装いは壮麗です。
しかし、桐壺のやわらかい美貌、艶のあるお姿は、花の色や鳥の声にもたとえられない方でいらっしゃいました。
お二人の朝夕の口癖は「翼をならべ、枝を交わす」と言い、愛をお約束されていましたが、それは叶うことがありませんでした。
桐壺の命の短さについて、帝は、尽きぬ無念にさいなまれておいででした。
風の音、虫の音を聞いても、悲しみにひたっておられたのです。
(画像出典:Wikipedia)