第二段 靫負命婦(ゆげいのみょうぶ)の弔問
「帝も同じでございます。
『私の心中、人が目をみはるほど桐壺に好意を寄せたのも、きっと命は長くはないという、今思うと辛い因縁であった。
この世に少しも人の心を曲げるようなことはあってはならないと思ってはいた。
ただし桐壺であったがために、幾多の人の恨みを背負った結果、このような死別という形により心を打ち捨てられてしまった。
心おだやかになる人も現れず、人とはかたくなに悪いものであろうという思いになった。
果ては桐壷との前世での繋がりを知りたくなったのだ』と、何度もおっしゃっては、うなだれてばかりでいらっしゃるのです」
命婦は語り尽くせぬまま、なくなく、「夜もすっかりふけましたが、今夜はここで過ごさず、帰って帝に奏上します」と、急いで帰ってゆこうとしました。
月は没しはじめ、暁の空は清く澄みわたってきました。
風がずいぶん涼しくなって、草むらの虫の音もまだ夜星であるかのように奏で、命婦を引き止めました。
いとも離れがたい、北の方の草の邸宅でした。
「鈴虫の声の限りを尽くしても長き夜あかずふる涙かな」
(鈴虫が声の限りを尽くしても、明かぬ夜の、止むことのない涙なのでしょう)
命婦は、なかなか御車に乗れずにいました。
「おおきな四苦で虫の音も茂る荒れ果てたところへ、涙とともに調度品を置き、私の心に添う帝には、恨みごとも聞こえているにちがいない」と、北の方はおっしゃいました。
情緒のある贈り物などあるべきときではないのですが、参内のためのものでしょうか、そこには、みごとなご装束一領と、お髪上げの調度品が、置き添えてありました。
それらを見て思えば、若い女房たちは、いまさら悲しいことは言わず、内裏わたりを朝夕に行い、とても騒々しくしておられることでしょう。
帝のご様子などもお聞きすれば、若宮に早く参内させるほうが良いのかと、北の方は思われました。
しかし、「忌々しい身の私が宮中に仕えても、人はとても心配するでしょう。
また、若宮一人を参内させるのも気がかりで」というご様子で、あっさりとは若宮を参上さしあげることをなさいませんでした。
(画像出典:Wikipedia)