第二段 靫負命婦(ゆげいのみょうぶ)の弔問
帝から遣いを仰せつかった命婦が、亡き桐壷の母、北の方の邸宅へたどり着きました。
北の方は、あわれな面持ちで門を引き、命婦をお迎えになりました。やもめ暮らしのわりにはきれいにつくろっていらっしゃいましたが、時が流れるのは早いもので、庭は、闇に伏して沈むほどに草ばかりが高くなっていました。
門をくぐると、野分けの風のような荒れた心地になりました。月影ばかりが生い茂った草むらを照らしていました。
命婦は、南面の部屋に招かれ、帝からの贈り物を降ろしました。北の方は、すぐには多くのものを言えずにおられました。
「今まで生きながらえてきたことを、憂いでおりました。お世話になっている方のお使いが、群生したよもぎの露を分け入っていらっしゃることにつけては、さらに恥ずかしくて仕方がございません」と、おっしゃいました。
北の方は、とても命婦を責めたてるわけはいかず、泣かれました。
「典侍が『北の方を参ったところ、本当に心苦しく、心も気力も消えるような感じでございました』と帝に奏上されていましたが、ものの思いを知らぬ私にも、まさに忍びがたいほどでございます」と、命婦は言い、ややためらってから、帝の仰せを北の方にお伝えしました。
「『しばらくは夢かとみてとられたが、ようやく思いが静まるにつれ、忘れられぬ桐壷がいないのは、やはり耐えがたいことだ。
どうすべきか、問う人さえいないので、忍んで参って欲しいのだが。
おぼつかない若宮が、涙のなかで過ごしているのかと思うと心苦しい。すぐに参れ』
と、帝はっきりとはものをおっしゃらず、むせび泣いておられるようなご様子でした。
一方私は、人も心弱く判断するのであろうと思い重ねてしまいました。帝の顔色の心苦しさから察するに、いままでのうけたまわりが果たされていないようでした。
そこで、お使いに参ったのでございます」と、命婦は、北の方に、帝からの文を奉りました。
「目も見えなくなってきましたが、恐れ多い仰せの言葉が、光でございます」と、北の方は帝からの文を見られました。
「時間がたてば少しでもまぎれることもあろうかと、待ち過ごす月日によりそっていたが、たいへん忍びがたいのは割にあわないことである。
若宮を思い、共に育てられないおぼつかなさを思いつつ。
今もなお桐壷の昔の形見にたとえている。参内せよ」など、帝はこまかに書かせておられました。
「宮城野の露吹きむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ」
(若宮のことを思うと風の音さえ結ばれているようで、宮中の野には涙が吹いている)
このようにありましたが、北の方は、涙で最後まで見ることができずにおられました。
(画像出典:Wikipedia)