第二章 父帝悲秋の物語
第一段 父帝悲しみの日々
桐壺が亡くなってから、はかなく日が過ぎてゆきました。
帝は、のちの仏事などにもこまかく弔わせておられました。
桐壺を弔うたびに、ますます、ゆきさきのない悲しみにくれていらっしゃいました。女御のお方々への夜のご宿直も絶ち、ただ涙にぬれて暮らすようお言いつけになり、新しく見たてまつるお方々でさえ、皆、つゆのように感じられる秋でした。
「亡くなったあとまで、帝の胸を悪くさせるお方を、まだ忘れていらっしゃらないのですねえ」と、弘徽殿はいまだに桐壺を許してはおられませんでした。
帝は、弘徽殿の皇子である一の宮に、会いに来るようお命じになりました。しかし、桐壺のお子である若宮を思い出しては、恋しく思われているご様子でした。
祖母北の方へ、親しい女房や乳母などを遣わせては、愛しい若宮の様子を伺っておられたのです。
第二段 靫負命婦(ゆげいのみょうぶ)の弔問
風が野をかき分けるころ、にわかに肌寒い夕暮れどきのことでした。
いつもより桐壺を思い出すことが多く、帝は、母北の方に弔問をするように、靫負命婦を遣わせたまいました。
帝は、優美な姿をあらわした夕月夜を、眺めていらっしゃいました。
かつてこのような折には、桐壺には管弦のお遊びなどをさせ、心かよう音楽を奏でさせておいででした。桐壺のささやきと秀でた美貌の面影に、お心をより添わせ、帝は、思い出にひたっておられました。
しかし、夕月夜の終わるころ、それは闇に劣ってかき消されてしまいました。
(画像出典:Wikipedia)