一宮千桃のスピリチュアル☆シネマレビューPART.79 「涙するまで、生きる」

人のために生きたい!本能ではわかっていても自分を捨てることもできない。だから多くの涙を誘うのだろう。

私たちは本能の喜びとして
人のために生きたい、死にたいと思っている

順風とまではいかないが、平穏に暮らしていた男の前に罪人があらわれ、その罪人のために男の生活がめちゃめちゃになる。
しかし、男はその罪人を生かすために自己犠牲の道を選ぶ……。
そういう男の生き方は、往々にして私たちの胸を打つ。
なぜか?
それは、私たちが本能の喜びとして人のために生きたい、また死にたいと思っているからだろう。
しかし、なかなかそういう生き方は出来ない。
だからそういう生き方を描いた映画や小説は深い共感を呼ぶ。
私たちの代わりに主人公が犠牲になってくれるのだ。
私たちはその姿にカタルシスを感じる。
本作はそういう映画だ。

危険な旅で芽生えた友情は思いのほか深く
ラストの選択、静かな余韻に涙……

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1954年のアルジェリア。
フランスからの独立を求め、内戦が始まった年。
元軍人のダリュは、人里離れた高原で現地の子供たちを相手に一人教師をしている。
そこへ殺人の容疑でアラブ人の男モハメドが連行されてくる。
憲兵の男は、モハメドをタンギーという山を越えた町に送り届けろとダリュに命じる。
そこで裁判が開かれるというが、裁判など名ばかりでモハメドの処刑は必至だ。ダリュはモハメドを逃がしてやろうとするが、モハメドはどうしてもタンギーに行きたいと言う。
しかたなくダリュはモハメドを連れてタンギーに向かうのだが、その道中で彼らは何度も命の危険に遭う……。
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死と背中合わせの旅でだんだんとふたりの間には友情が生まれる。
しかし、モハメドのためにどんどんダリュが危機に陥っていくのを観る度になんとも言えない気持ちになる。
「ああ、もう一緒に旅に出なきゃ良かったのに……」とこちらはハラハラし通しだ。
そしてモハメドがなぜタンギー行きに固執するのか、アラブの掟が語られ、ダリュが自らの過去を匂わす場面で物語はグンと深みを増す。

クライマックス、モハメドが選んだ道をダリュが見届け、ダリュも自ら選んだ道を淡々と辿る・・・。
静かな、あまりに静かで崇高な、ダリュの人生の選択にただ涙が流れた。
悲痛な余韻に浸る喜び。
なんて甘美な生き様なんだろう……と私は震えた。

砂漠で語られる寓話的な男たちの物語は
「美しい泉」のような佳作

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荒涼とした山岳地帯の撮影はモロッコ側のアトラス山脈で行われたという。
広大な砂漠や高原の映像の中で語られる男たちの物語は、まるで寓話か神話のようでもあり、神秘性が漂う。
ダリュを演じるヴィゴ・モーテンセンは語学に堪能で、本作ではフランス語を喋っているが、英語の時とは雰囲気が全く違って、別人のようだった。
個人的にはフランス語を喋る彼の方が好みだ。
あまり良い声とは言えない彼が喋るフランス語は鬱屈がにじみ出ていて、すごく知的なのだ。
父親がデンマーク人だが、彼のデンマーク語も聞いてみたい。
喋る言葉によって人は本来持っている性格が増幅されるようである。
たとえば、英語だと攻撃的にキツくなるとか。
言葉の持つ力は凄いな、と改めて思わせられた。

本作はまた、原作がカミュの短編「客」である。
「異邦人」で有名な作家だが、こんな美しい短編も書いていたのかと驚いた。
アルジェリア生まれの彼の屈折が、見事に映画にも昇華されている。

さて、私も常々人のために生きたい。
究極的には人のために死にたいと思っているのだが、まだ今生では修行が足りないようである。
でも、きっとそういう場面に小さいものではいくつも出くわしているのだろうけど、勇気がなかなか出ないねぇ~。
自分を叱咤激励して人のために生きたいものである。
ま、まず自分なんだけどね(笑)。

そんなことを思わせてくれる、砂漠で見せられた「美しい泉」のような佳作であった。

■監督・脚本 ダヴィド・オールホッフェン
■原作 アルベール・カミュ
■ヴィゴ・モーテンセン レダ・カテブ
■101分

■東京・上映中
■大阪・6月13日(土)~ロードショー

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5月下旬より、イメージフォーラムほかにて全国順次ロードショー