エンジェル・セラピスト®夫婦のスピリチュアル子育て PART.62~ベビーサインと赤ちゃんの言語能力(寛子編)

赤ちゃんと“ベビーサイン”でコミュニケーションを

何度かこの連載で紹介してきた、赤ちゃんとお手手でお話をする「ベビーサイン」ですが、今回は赤ちゃんの言語能力に与えるメリットを紹介します。

去年の今頃は、娘の小葉(このは)とベビーサイン教室に通っていました。生後5ヶ月から、月1回の半年間。
始めは見せると理解して笑うようになり、生後8ヶ月で少しずつ使えるサインが増えて楽しさ倍増だった頃です。

1歳8ヶ月になった現在は、日に日に話せる言葉が増えており、聞き取れないおしゃべりも含めて話すことが大好きなようです。
そして少しすると話せるようになった言葉のサインを出すことが減っていく…ベビーサインに限れば少し寂しい時期とも言えます。
移行していくときは、言葉とサインを両方使ってくれるのですが、いつの間にかサインが消えています。
今日は「美味しい」のサイン(ほっぺたを手のひらでペタペタ触る)なしで、焼き芋を食べながら「美味しい!美味しい!」と言っていました。

話せるようになればそのうち使わなくなってしまう、ベビーサイン。
まだうまく話せない赤ちゃんとのコミュニケーションにとても重宝してきましたが、活躍するのはその子の人生の中でとても短期間とも言えます。

しかし、ベビーサインはその短期間のためだけではない、大きなメリットがあるのです。

シカゴ大学の研究者の研究結果なのですが、

『赤ちゃんのボキャブラリーを成長させるため、14か月までに、父親や母親が、たくさんジェスチャーを使って話しかけると、4歳時点でのボキャブラリーに、2倍の差が出る』

ということが分かったそうです。

娘の小葉は1歳を過ぎるとベビーサインだけで100種類近くの表現を身につけ、二語文もサインを組合わせて表現していました。そしてさらに興味があるものを表現したいときに、自分で新しくジェスチャーでサインを作り、伝えるようになりました。

自分の好きなもの、興味があるものを表現すること、伝えることが、とても楽しそうです。

親や周りの大人に伝わった時の嬉しさは、格別のようです。

ベビーサインを使った子育てを実践しているとメリットばかりですが、デメリットがあるのではないかと気にされる方もいます。

「手話やジェスチャーばかりで会話していると、言葉が遅れるのではないか」
というものです。

しかし実際にベビーサイン体験者を見たり、教室の先生からの話を聞いていると、言葉が遅れるというケースはないようです。

ジェスチャーは第二の言語になるのではなく、言語や手話のベースになり、その学習を促し、また習得のスピードも早めるということなのですね。

そして何よりも、赤ちゃんは「伝えたいことがあるけれども、伝わらないから泣く」ものだと感じます。

まだうまく話せない、要望が伝えられない時期に、ベビーサインの体験を通して得るコミュニケーションってとても大切なことがあるのだと感じます。

「表現する喜び」

「伝わる喜び」

「興味を共有することの喜び」

「双方向のやりとりをする喜び」

などなど、様々なコミュニケーションを通して得られる喜びを実感しているように見えます。

水本 子供 1・15 下
娘の姿勢を見ていると、積極的に今日の出来事や印象に残ったことを言葉とサインを駆使して伝えようとします。

断乳をした時は、親戚に会う度に「おっぱいにバイバイしたよ」と伝えていました。

パパとのお散歩から帰ってくると「ママ、さっきあそこの道路でワンワンに会って遊んだんだよ」ということを伝えてくれたりします。

数値的には、その言語能力の上でのメリットは、語彙が増える、ということになるのでしょう。

しかし数値に現れない部分では、人とのコミュニケーションを楽しむ姿勢が身につき、コミュニケーション上手になるというメリットがあると言えるのではないでしょうか。

表現すること、コミュニケーションは、人生を豊かにするための大切な要因だと実感しています。

それを0歳から赤ちゃんと取り組めるベビーサインは、とても楽しく有効な教育法だと思います。

そして最後に、強いてデメリットを上げるとしたら…

赤ちゃんがベビーサインを覚えて使うようになるまで、そのサインを家でも外でもいつも見せる必要があります。

表情豊かに、動きは大きく分かりやすく。

娘がまだ1歳になる前に、実家の家族と動物園に行った時に言われました。

「サインを見せてるあなたの方が、面白かったわ!」

各動物のベビーサインを、その動物の前でひとつひとつ大きな動きでその動物の特徴を表す言葉を添えて見せていたのです。

「首の長い、キリンさん!」

「お鼻の長い、ゾウさん!」

「全身シマシマの、強そうなトラ!」

外でも、思い切りよく全身で表現して見せること。

これが人によっては、恥ずかしいかもしれませんね。