中村うさぎさんコラム「どうせ一度の人生・・・なのか?」part.55〜あなたもまた、自分の信じている世界で生きている

誰もが自分の信じる世界で快適に生きたい。うさぎさんのお母様も認知症という病気のためか独自の世界に入ってしまわれ、現実の世界とは大いに掛け離れてしまうことに。

こないだからスピリチュアルに否定的な意見ばかり書いている、と感じている読者の方々も多いと思うが、私は確かにスピリチュアルを信じてはいないものの、全否定するつもりはない。

 

何度も書いてきたことだが、この世界の在りようは各自の主観による解釈次第だからだ。

たとえばうちの母は認知症で、記憶がたびたび飛ぶため、この世界がかなり不可解で悪意に満ちたものとなっているようだ。
身に覚えのないこと(本人が忘れてるだけなんだが)を私や夫から指摘され、「私はそんなことしてない!」と主張しても「忘れてるだけだよ」と返される。しかし本人にはボケの自覚がないため、なんだか濡れ衣を着せられてる気分になる。

「自分が本当に忘れているのか、あるいは周囲が作り話をしているのか」との二者択一を迫られて、彼女は「自分が正しい」という結論を出す。そう信じたいからだ。

 

人間は自分の信じたいことしか信じない。

で、「自分が正しい」と結論づけた母は、父や私の言葉を「根も葉もない作り話に違いない」と考え、「二人で共謀して私をハメようとしている」という陰謀論に着地する。

作り話までしてあなたを騙して私たちに何の得があるのか、と問うと、「私のお金を取り上げようとしている」などと言い始める。
あんたのヘソクリなんか誰も狙ってやしねーよ、と思うのだが、そうでも考えなければ辻褄が合わないのだろう。

 

私たちからすると甚だしい誤解だとはいえ、これもひとつの解釈だ。

彼女の世界では、夫と娘が共謀して彼女を認知症扱いして財産を横取りしようとしているという、そういう物語になっているのだ。

彼女はたびたび夫(私の父)に向かって「あなたは本当に私の夫なの?」と尋ねるのだが、これは本当に夫の顔を忘れているのか、あるいは「自分を騙して財産を巻き上げようとしているこの男が夫であるはずがない」という意味なのか、よくわからない。
きっと本人にもわかってないのだろう、という気がする。

このように自分に都合よく事実を捻じ曲げて解釈する現象を精神医学的には「認知の歪み」と呼ぶが、この言葉を聞くたびに私が思うのは「そんじゃ、認知の歪んでない人なんているのか」ということだ。

スピリチュアルを信じない私にとっては、霊が語りかけるとか神が存在するとかいう論理的根拠のない話は「認知の歪み」のようにも思えるが、それでは私の言う「論理」は正しい認知と言えるのか? 私の「論理」こそが歪んでいるのではないか?

そうでないという確信を、私は持てない。自分が正しいと全面的に信じ込めないからだ。
そうなると、何が正しいとかではなく、それぞれの世界の中で勝手に生きていればいいじゃないか、という気持ちになる。

母親に泥棒呼ばわりされるのは悲しいが、「自分は正しくて夫と娘が正しくない」という解釈が彼女にとって居心地いいのなら、それほどまでに自分が間違っている可能性を否定したいのであれば、もう彼女はその世界に永住すればいい。

この世で信じられるのは自分しかいない、と彼女が結論づけたのなら、その世界において私が嘘つきで強欲なヘソクリ泥棒であっても構わない。

私はいつも本当のことしか書いてないつもりだが、「中村の書いてる話は全部嘘」と決めつけている人も世の中にはいて、その人にとっては「嘘であって欲しい」のだろうから、それも構わない。

だから、スピリチュアルを信じている人も、「あんなの嘘だよ」とか「インチキだ」とか言われても、どうか傷つかないで欲しい。
そういうことを言う人は、自分の信じる世界で快適に生きたいだけなのだ。

あなたもまた、自分の信じている世界で生きている。
他人が違う世界に生きていても、それは仕方ない。

この世には「真実」なんてないのだから。

 

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